【2017年12月20日】

僕には家事妖精なメイドがいます 出だし公開!

出だし公開です 白い貴婦人と呼ばれるシルキーなお姉さんとの出会いです

プロローグ 伝説の家事妖精
「ねえ祖父ちゃん、あの枝、なんだかおかしくない?」
祖父との散歩の途中、幼い少年が指差したのは、大きな欅の枝だった。球形に繁った枝を見て、少年の手を引いていた初老の男がにやりと笑う。
「あれは宿り木と言ってな、魔除にもなる、珍しい植物だぞ」
「やどりぎ? お守りになるの?」
「そうだ。しかも、クリスマスにあの宿り木の下に女の子がいたら、キスしてもいいんだぞ? 凄いだろ? 凄いんだぞ?」
「キス? ちゅーのこと?」
少年は改めて宿り木を見上げる。
「そうだ、ちゅーだ、ちゅー」
「ふぅん」
まだ子供の少年には、なぜ祖父が力説しているのかわからず、首を傾げる。
「それより、さっきの続きはー? 妖精さんのお話、もっと聞かせてよ。祖父ちゃん、会ったことあるんでしょ?」
祖父は孫の反応に微笑みつつ、中断していた話の続きを語り出す。
「シルキーという妖精はな、勝手に家の掃除をしたり、料理を作ってくれたりするんだ。しかも美人だ。おっぱいもおっきい」
「いいなぁ。うちにも来てくれないかなぁ」
いつも母親から片付けなさいと叱られている少年は、心底羨ましそうな顔で言う。
「シルキーはイギリスって外国の妖精だからなぁ、お前のうちには来てくれないかもなぁ」
「そっかぁ……」
「だけどな、実は祖父ちゃん、シルキーがいる家を知ってるんだ」
「本当!? 僕のところに来てくれる!? いい子にしていれば会える!?」
「うーん、シルキーはサンタさんと違って、気に入った家から動かないからなぁ。お前のところに引っ越しはしてくれないかもなぁ」
「じゃあ、僕が妖精さんのところにお引っ越しすればいいの?」
「あははは、そうだな。もしお前が大人になったら、祖父ちゃんがこっそりシルキーの隠れ家を教えてやろう。暖炉もあるんだぞ」
「暖炉!? 凄い! 妖精さん、暖炉から来るの!?」
「いや、だからシルキーはサンタさんじゃないけどな。……暖炉から出入りはしないが、この妖精は壁を抜けられるんだぞ」
「壁を!? うわぁ、見てみたい!」
白い貴婦人と呼ばれるシルキーの話に、少年は目を輝かせながら聞き入る。
銀色の髪。白いシルクのドレス。赤い瞳。
美しき家事妖精と少年が出会うのは、この十年後のことだった。

第一章 洋館にはシルキーが住んでいます
1 白い貴婦人との出会い
散々迷った挙げ句にどうにか辿り着いたその屋敷は、まさに洋館と呼ぶにふさわしい姿をしていた。
石垣の外壁と大きな扉、縦長の窓、二階中央部から張り出したバルコニー、そして屋根の煙突。
また、建物のところどころに細かい装飾が加えられており、これらも日本家屋とは違う雰囲気を醸し出す一因となっている。
(イギリスにある実際の屋敷をコピーして建てたって祖父ちゃん言ってたっけ)
今日からこの屋敷に住むことになっている臼木英太郎は、二階建ての洋館を見上げて圧倒される。石垣の色合いが、この洋館が積み重ねてきた年月を英太郎に伝えてくるようだった。
(中からメイドとか執事が出てきても全然違和感ないよね、これ)
屋敷だけを見せられれば、ここが英国だと言われても信じたかもしれない。
が、ここは日本だ。決して都会ではないが、見渡す限り緑、といった山間部でもない。少し歩けばコンビニもあるし、車を使えば大型スーパーだって利用できる。
しかし、このエリアだけは確かに異国の、イギリスの風景だった。
広い庭は美しく整備されており、様々な植物の緑が目に眩しい。
(イングリッシュガーデンっていうんだっけ、こういうの)
特に目を引くのは、これから春の開花シーズンを迎えるバラたちだった。
赤・白・黄色と、鮮やかなバラが洋館を彩っている。
(あれ? だけどここって、ずっと空き家って聞いてたんだけどな)
洋館と庭に見惚れていた英太郎は、祖父から聞かされていた話と目の前の光景の大きな食い違いに疑問を覚えつつも、
「ま、いいか。綺麗だし。あとで祖父ちゃんに確認すればいいよね」
持ち前の鷹揚さで深くは考えない。
せっかくだからと写真を撮ろうとスマホを構えたそのとき、一階の窓に白、あるいは銀色のなにかが動いた。二つの小さな赤い点も見えたような気がする。
(誰かいる……?)
この洋館は長らく放置されていたはずだが、何者かが不法侵入している可能性もある。
英太郎はそれほど悩むことなく、まずは自分の目で確かめることにした。先ほどのはただの見間違いかもしれないからだ。
(真っ昼間だし、さすがに幽霊じゃあないよね。幽霊だったら会ってみたい気もするけど)
洋館の玄関へと向かい、合鍵を使ってステンドグラスをあしらわれたドアを開ける。
(中はこんな感じなんだ)
生粋の日本人である祖父母が建てたからか、玄関で靴を脱ぐスタイルだったのは昨日まで純和風の家に住んでいた英太郎にはありがたい。普段はスリッパで移動することを前提にしているようだった。
「…………?」
室内に踏みこんだ瞬間から違和感があった。
(おかしい。どうしてこんなに綺麗なんだろ?)
空気が澱んでいない。えんじ色のカーペットの上を歩いても埃が舞い上がらない。嫌な匂いもしない。
(やっぱり、誰かが住んでる……?)
緊張が高まったそのとき、
「我が屋敷になにかご用ですか、人間」
廊下の向こう側から人影が現れた。正しく言えば、廊下の壁から出てきた。
「うわぁ!」
気配も音もなく壁の中から出現したのは、白い服で全身を覆った美女だった。
カチューシャでまとめた銀色の髪と純白のドレスが目に眩しい。
豊かな胸とその谷間を強調するようなドレスのデザインも、別の意味で男子高校生には眩しい。
瞳はルビーのように赤く、肌は静脈が透けるほどに白い。
(さっきの、見間違いじゃなかったんだ)
この美女の服か髪を窓ガラス越しに見たのだろう。
(ってこの人、今、壁の中から出てきたよね!? それこそ見間違いじゃないよね!?)
英太郎はドレスの美女と壁とを交互に見る。
「答えなさい。さもないと、力尽くで排除いたしますよ」
そう言うと美女は、右手で軽く壁に手を触れた。と、その刹那、壁がぐにゃりと歪んだ。ちょうど、先ほど彼女が出てきたときのように。
「えっ? ええっ?」
いったいなにが、と思った軽く身を乗り出した英太郎の視界に、木の棒が突きつけられていた。モップの柄だった。
(モップ、どこから出てきたの!? やっぱり壁の中!?)
ドレスを纏った美女が現れたとき、両手にはなにも持っていなかった。それは間違いない。彼女が両手に手袋をしているのを英太郎は確かに見たからだ。
この洋館の壁が特殊なのかと恐る恐る触れてみるが、特におかしなところはない。少なくとも、英太郎の手が壁の中に潜ったりはしない。
「聞こえませんでしたか? 私の家に勝手に足を踏み入れることは、許しません」
「待って待って、僕の話を聞いて!」
赤い目に宿る明白な敵意に、英太郎は慌てて両手と首を振って無害をアピールする。
「僕は今日からここに住むことになってる英太郎、臼木英太郎って者だよ!」
「臼木……」
どうやら臼木という名前に聞き覚えがあるようで、謎の人物の瞳から少しだけ敵意が薄れる。だが、モップは依然としてこちらに狙いを定めたままだ。
「嘘じゃないよ、ちゃんと祖父ちゃんから渡された合鍵を使って入ったし。そっちこそ誰? ここはずっと無人だって聞いてたのに」
英太郎は高校生男子としては平均的な体格だが、中学までは柔道をやっていたし、体力や腕力にもそこそこ自信がある。たとえモップという得物があっても、華奢な女性相手に打ち負かされることはないだろう。
とは言うものの、そんな事態は極力避けたい。下手をすると、正当防衛どころか、逆にこちらが加害者扱いされかねない。
敵意がないことをアピールするため、両手を挙げたまま笑みを見せる。なんとか意図は伝わったようで、突きつけられていたモップがゆっくりと下がる。
「なるほど、あの夫婦の孫ですか。……確かに、若かりし頃のお二人の面影があるようなないような」
記憶と照らし合わせているのか、赤い瞳がじっと英太郎を見つめる。
(こ、この人、すっごい美人。全然表情変わらないけどもっ)
今まで出会った中で一番綺麗だと即答できるほどの美女に凝視される照れくささに、英太郎の額に妙な汗が滲む。感情が読みづらい上に、瞬きをほとんどしないことも、余計に英太郎を緊張させた。
(あれ? そういやこの人、どうして祖父ちゃん祖母ちゃんの若い頃なんて知ってんだろ? 当時の写真、この家のどっかに残ってるのかな?)
だが、それよりもまずは目の前の疑問を解決しなくてはならない。
「あの、僕、まだあなたの名前を聞いてないんだけど。そもそも、どうしてここにいるの?」
遠回しに、謎の美女の正体と目的に探りを入れる。不法占拠者である可能性もあるからだ。
しかし、そんな懸念は彼女の回答によって吹き飛ばされる。新たな、より面倒な疑念を英太郎に与えつつ。
「私は茶野絹葉、ここを管理しているシルキーでございます。あなたにわかりやすく説明するならば、妖精、もしくは亡霊のような存在ですね」
絹葉と名乗った人物はそう言うと、ドレスの裾をかるく持ち上げ、英太郎に向かって軽く頭を下げた。これまでの人生で初めて見る、優雅な挨拶だった。
だからといって、絹葉を怪しむ気持ちが減ったわけではない。むしろ増している。
「シルキー? 妖精? 亡霊?」
不思議すぎる単語の数々に訝しむ一方で、記憶がちくちくと刺激される感覚があった。
(なんだっけ、祖父ちゃんがそれっぽいこと、昔、聞かせてくれた気がするぞ?)
英太郎は腕を組み、目を瞑り、記憶の糸をたぐり寄せる。
突然黙りこくった英太郎を、自称妖精もまた、じっと見つめている。
「……祖父ちゃんがイギリスで買ってきた暖炉に取り憑いてた妖精さん、だっけ?」
こくん、と絹葉が頷く。
「家のことを色々取り仕切ってくれるとか?」
こくんこくん、と絹葉が二度頷く。
「確か、毎日お礼代わりにミルクかなにかをお供えする、とかだったような」
「ミルクではありません、クリームです。が、郷に入っては郷に従えと申します、基本的に甘い物であれば私はなんでも受け付けます。どら焼きや水羊羹、最中といった和菓子から、マカロン、チーズケーキ、プリン、シュークリーム、エクレア、生チョコなどまで、私の許容範囲は広大です。こういったものがあれば、より家事に力が入ろうというものです」
表情は変えぬまま、けれどわずかに鼻息を荒くして一気にまくし立てる様子から、今言った菓子が好物なのだろうとわかる。
「なるほど、覚えておくね。……うわ」
絹葉が取り出したモップが、再び壁の中に沈むように消えていった。
「いつでも掃除できるよう、私は家の中のどこからでもこうして用具を取り出せるのです。先ほどご覧になったように、私自身も壁の中を自由に出入りできます。……驚きましたか?」
言外に、自分は人間ではない、本物の妖精あるいは亡霊なのだと告げているようだった。こちらの反応を探るような視線が向けられる。
「疑ってたわけじゃないけど、本当に妖精なんだー。凄いなぁ」
「……それだけ、ですか。普通の人間は、もう少し驚くか気味悪がると思うのですけれど。あなたの祖父母もずいぶんと驚いてましたし」
「僕って細かいこと、あまり気にしない質なんで。みんなからはマイペースすぎるってよく笑われるけど」
「……どうやら、そのようですね」
絹葉が小さく息を吐く。少し呆れてるのかもしれない。表情が変わらないので、今一つ自信は持てないが。
「それで僕はどの部屋を使ったらいいの、お絹さん」
床に置いたバッグを持ち上げながら、銀髪の妖精に尋ねる。洋館がなかなか見つからずにあちこち迷って疲れていたため、まずは荷物を部屋に運びこみたかった。
「お絹、さん……?」
絹葉が、初めて大きく表情を変えた。赤い瞳が大きく見開かれる。
「え、だって呼びやすいし。茶野さん、だとちょっと距離、感じない?」
「きょ、距離感もなにも、私とあなたは今、出会ったばかりで」
「でも、今日から一緒に暮らすんでしょ? だったら家族も同然だし。……あ、僕のことも英太郎って呼んでね、お絹さん」

2 お絹さんと僕
ひとまず荷物を二階の部屋に置くことができた英太郎は再び一階に戻り、洋館の東側にあるリビングへと案内された。この屋敷で一番広い部屋だと絹葉が教えてくれた。
十人くらいは余裕で過ごせそうなスペースに、古そうだがよく手入れをされたソファやテーブルが並ぶ。
「あ、これが例の、イギリスから持ってきたっていう暖炉? 使えるの?」
そして、日本の一般家庭ではあまり見られない立派な暖炉が圧倒的な存在感を放っていた。
「使えるはずですが、現在はただの飾りです。暖房なら、現在は他にも便利なものがありますから」
「へー、それはちょっと残念」
「……英太郎」
ぱしゃぱしゃとスマホで写真を何枚か撮っている英太郎の名を絹葉が口にする。
「あ、ごめんごめん、珍しかったからつい」
絹葉の声に若干の苛立ちが感じられたので、英太郎は慌てて近くのソファに座る。
それを見て絹葉も英太郎の真向かいに腰を下ろした。白いドレスが立てるさらさらという衣擦れの音が耳に心地よい。
「どうかしましたか?」
「いや、今、初めてお絹さんに名前呼ばれたから、ちょっと嬉しくて」
「あなたが呼べと言ったのです」
「そうだけど。お絹さんみたいな綺麗な人に下の名前で呼び捨てにされると、どきどきしちゃうなって」
「なんなら、英太郎様、とでも呼びますか?」
「それはどきどき通り越してぞくぞくしそう。……いいよ、呼び捨てで。僕のほうが歳下だろうし。……ええと、年齢って、聞いてもいいのかな?」
「残念ながら、その質問にはお答えできません」
絹葉がゆるゆると首を左右に振る。
「なぜなら、私自身もよくわからないからです」
「わからない?……うわ、なにこれ、美味しいっ」
いつの間にかテーブルに置かれていた紅茶を一口飲んだ瞬間、思わず大きな声を発してしまった。それくらいに絹葉が淹れてくれた紅茶は美味しかったのだ。
「ありがとうございます。……私は一般的にシルキーと呼ばれる妖精と認識されてます。しかし、正しくは妖精と亡霊の中間のような存在なのです」
「さっきも言ってたよね、それ。……妖精と亡霊のあいだに生まれたって意味?」
「いいえ。本国でも、その起源が曖昧なのです。本人である私ですら、自分がいつ発生し、どのような経緯で現在に至ったか、思い出せません」
眉一つ動かさずに淡々と説明する表情からは、絹葉が自身についてどのような感情を抱いているのか、まったく読めない。
「気づいたときには、私は私でした。つまり、気に入った屋敷に棲み着き、実質的な主として家事のすべてを管理するシルキーになってたのです。……まあ、一番古い記憶は今から数百年以上も前のものですから、少なくとも英太郎よりはずっと歳上です」
「なるほど。……今、簡単に調べたんだけど、シルキーって、イギリスの妖精でしょ? お絹さんはなんで日本に?」
検索結果が表示されたスマホを片手に、英太郎が質問を続ける。
「気に入っていた家の旦那様がお亡くなりになったのです。跡を継いだ息子夫婦が人間の分際で私の屋敷を取り壊すなどとほざいたので、見切りを付けて家を出ました」
さらりと「私の屋敷」などと言うあたりに、絹葉のシルキーとしての性質の一端を垣間見た気がした。
「その際、お気に入りのこの暖炉を買い取ったのがあなたの祖父なのです」
「つまりお絹さんは、暖炉と一緒に日本に来た、と?」
「そうです。シルキーは人ではなく家に、あるいは家具に憑く存在ですから。言葉を覚え、日本での名前も適当にこさえました」
「シルキーがいる家には幸運が訪れるって書いてあるけど、本当?」
「そう言われておりますね。事実かどうかは知りませんが、私が捨てた家は、もう潰れたと聞いてます。いい気味でございます」
整った顔のまま、またもさらりと毒を吐く。
「座敷童のイギリス版みたいな感じ、なのかな?」
「当たらずとも遠からず、です。会ったことはありませんが、電話で話したことはございますね」
「座敷童と!?」
「はい」
「うわぁ、色々な意味で凄いな、それ……。あ、最初に大事なこと聞いておかないと。お絹さんに捨てられないようにするためには、僕はなにに気をつければいいの?」
万が一ここから追い出されたとしても、英太郎には実家という帰れる場所がある。が、できるならこの美しい妖精と一緒に暮らしてみたい気持ちが英太郎の中でどんどん膨らんでいた。
絹葉が人間ではない(壁から現れたりモップを取り出したのを見せられては、もはや疑う気にもなれない)としても、英太郎にはもうどうでもよかった。
本人にまだ自覚はなかったが、まさにこの感情は一目惚れだった。
「家事はすべて私に一任してください。口出しをしないでください。毎日甘い物をください。たまに悪戯しますがスルーしてください。……以上の点を守っていただければ、あとは勝手に、好きに暮らしていればいいです」
「そんな程度でいいの?」
「ええ。……あなたは私の正体を疑わないのですね。普通は信じませんよ?」
「さっき、壁から出てきたじゃない」
「手品とは思いませんか?」
「手品には見えなかったし、なによりお絹さん、すっごい綺麗だもん」
「……はい?」
「髪は銀色できらきらしてるし、肌は雪みたいに真っ白だし、瞳は宝石みたいで、こんな美人が普通の人間って言われても、僕は信じないね」
「……英太郎は悪い女に騙されないよう、気をつけたほうがいいです。あなたは女で人生を狂わすタイプと思われます」
「うん、気をつけるよ。……それで、僕はお絹さん的に合格? 今日からここで住んでも大丈夫かな?」
ここが一番重要な点だったので、英太郎は緊張しつつ尋ねる。
「大丈夫もなにも、書類上はもうあなたがこの家の主なのでしょう?」
「正確には、まだ祖父ちゃん名義だけどね。僕が成人したら、生前贈与してくれるって」
「なるほど。それならやはり、英太郎がここの主人です。私は今日からメイドに転職するといたしましょう」
「え! お絹さん、僕のメイドさんになってくれるの!?」
思わずソファから勢いよく立ち上がってしまった英太郎を、絹葉が無言で見つめる。
表情は何一つ変わってないのに、向けられる視線が冷ややかに感じられる。気のせいか、部屋の空気もちょっと涼しくなったように思われた。
「私が仕えるのはこの家であって、英太郎ではありません。勘違いなさらないように」
「……うん」
がっかりしながら、再びソファに腰を下ろす。
「メイドさんになると、なにか変わったりするの?」
「なにも。そのままです。……ああ、仕事は増えますね。英太郎の世話が加わりますから。洗濯と掃除に食事と、一気にやることが倍になります」
「え、いいよ、それくらい自分で」
「いけません」
自分でやるよ、と言い終える前に、強い口調で遮られた。そして、睨まれた。赤い瞳がちょっと怖い。ほとんど瞬きしないのが余計に怖い。
「この家に関することは、まず私に確認してください。洗濯も掃除も勝手にしないように。食事は、アレルギーがない限りは、すべて私に一任してもらいます。好き嫌いは認めません。体調不良以外で残すことも許しません」
「家事、全部してもらえるってこと?」
「基本的にはそうなります。ですが、だからといって私の家を傷めるような行為をした場合は、それ相応の報いを受けていただきます」
この妖精、ごく自然に「私の家」と口にする。ついさっき、この家の持ち主が英太郎と言ったのと同じ口とは思えない。こちらが本音なのだろう。
「まず最初の一週間は好きに過ごしてください。あなたがどのような人間なのか、確認させていただきます。多少の粗相はおまけしてあげましょう」
淡々とした口調が、逆に恐ろしい。
(でも、こんなでっかい屋敷で一人暮らしするよりはずっと楽しそう)
なにより、絹葉の美しさが英太郎の心を捉えて離さない。妖精だろうが亡霊だろうが妖怪だろうが、まったく気にならなかった。
英太郎は、よく言えば大らか、悪く言えば大雑把な性格なのだ。
「じゃあ、改めて……今日からよろしくお願いします、お絹さん」
英太郎が差し出された右手に、絹葉は特に躊躇することもなく、けれど表情を変えることもなく、手袋を脱いで握り返してくれた。
初めて触れた妖精の手は、まるで絹のようにさらさらしていた。

高校生の英太郎が一人暮らしをすることになったのは、東京で事業をしていた祖父が突然隠居を宣言したためだ。まだまだ身体が動くうちに引退し、余生を楽しみたくなった、らしい。
(祖父ちゃん、本当に自由人だなぁ)
親族で一番祖父に似ている、と評されていることを知らないのは、当の本人だけである。
(父さん、これからしばらく忙しくなるだろうから、こっちのことで心配かけたくないし、なんとしてもお絹さんに気に入られなければ!)
今回の一件で最も割を食ったのは英太郎の父だ。跡を継ぐことは既定路線ではあったとはいえ、突然前倒しとなり、急遽今の会社を退職する羽目になった。
祖父や父と同じくこの九州出身の母は、初めての東京での生活にだいぶ浮かれていたが、問題はこの先に受験を控えた英太郎だった。
「僕はこっちでのんびり暮らしたいなぁ」
一人暮らしに興味があった英太郎はそう言って、こちらに残ることを決めた。
己のわがままで息子の家族に迷惑をかけたという自覚はあるのか、祖父が孫のために紹介してくれたのがこの洋館だ。祖父母が新婚当時に建てたものの、その後なぜかすぐに別の家に引っ越したという話は英太郎も知っていた。
(今ならわかる。祖母ちゃんとお絹さん、合いそうにないからなあ)
英太郎の祖母もまた、家のことは全部自分でやりたいというタイプだ。たまに祖父母の家に遊びに行った際も、英太郎の母が手伝おうとしてもやんわりと、けれどきっぱりと断るくらいである。
(そうだ、祖父ちゃんに無事着いたって連絡しないと)
今日から自室となった部屋のベッドに寝転んでいた英太郎は、スマホで祖父に報告を入れる。少し悩んでから、絹葉のことも伝えた。
ぷぽっ、という音とともに、すぐに返事が来た。
『絹ちゃん、美人だろう? あとで写真撮って送れ』
「……元気だな、祖父ちゃん」
絹葉は写真を撮ることを許してくれるだろうか、そもそもシルキーって写るんだろうか、などと思いながら、「期待しないで待ってて」と返しておく。またもすぐに返信が来て、土下座しているスタンプが貼られていた。
「あははは、祖父ちゃん、また新しいスタンプ買ったんだ」
報告を済ませた英太郎はベッドから起き上がると、あてがわれた部屋を改めて見回した。洋館の二階、表側に面した一番立派な部屋だ。ベッドに本棚、デスクなども備えつけられている。
「あ。LANが引かれてる」
驚いたのは、コンセントと一緒にLANコネクタも備わっていた点だ。
この屋敷が建てられたのは何十年も昔だから、最近、工事をしたのだろう。
(お絹さんが工事を発注したのかな?)
あるいは、自分で工事をした可能性すらある。先ほど見た、壁を自在に出入りする魔術(?)を駆使すれば案外簡単かも、などと妄想してしまう。
(そういえばリビングにあったテレビ、普通に薄型だったし。HDD繋がってたから、あれで録画してるんだ。……近頃の妖精、凄いな)
自宅から持ってきたノートPCを早速ネットに接続し、検索サイトで「シルキー 妖精 特徴」などと、思いつく単語を入力して情報を集める。
「ふむふむ、だいたいお絹さんが言ってたとおりなんだ」
シルキーとはイギリスに伝わる妖精で、女中などとして屋敷に潜りこみ、勝手に家事を仕切る。絹の服を着ていることからその名がつき、その白ずくめの外見から「白い貴婦人」とも呼ばれているという。
「家事をしてくれた礼になにか贈ろうとしても、絶対に受け取らない? 服は特にダメ? なんでだろ?」
感謝の気持ちは、家のどこかにクリームを置いて示せばいいらしい。
「要するに甘い物が好きってことなのかなぁ」
ブラウニーという妖精ともよく似ているそうだが、伝承がまちまちで、ちょっと全体像が見えづらい。絹葉本人が言っていた「自分でもよくわからない」というのは、ここらへんの曖昧さが原因なのかもしれないと英太郎は思う。
(シルキーは屋敷の主人に惨殺された女中さんの亡霊って説もあるのか)
様々な伝承や伝説が入り混じっているようで、これ、と決まったシルキー像が掴めない。
もっとも、そういう曖昧さ、あやふやさこそが神秘性を増しているとも考えられる。
「ま、なんでもいいや。やっちゃまずいことさえわかればそれで」
そして英太郎は、こういった不確実なことに対して深く追求しない少年だった。物事の本質を大切にし、枝葉末節にはあまりこだわらない性格なのだ。
今回の件に関して言えば、絹葉が自分にとって害をなす存在ではなく、一目惚れするほどの美女であるのが本質で、たまたまシルキーという人外であったのが末節となる。あくまでも英太郎個人の判断基準ではあるが。一般的とも言い難いが。
「お絹さんには贈りものをしたらダメ。感謝の気持ちはクリームとかの甘味で。家のことはお任せする。……気をつけるのはこんなとこかな?」
今、英太郎にとって大切なのは、いかにあの美しい家事妖精との共同生活を無事に成功させるか、その一点である。絹葉が人間ではないことなど、二の次三の次だった。よくも悪くも大らかな性格なのだ。
(よし、シルキーについてはまたあとで細かく調べるとして、まずはこの屋敷だ)
絹葉から夕食は午後七時と伝えられていたので、まだ二時間ほど余裕がある。今のうちに洋館の中を探索しようと部屋を出る。
「こっちにもバルコニーあるんだ」
部屋を出てすぐ右奥、東側にも、もう一つバルコニーがあったので出てみる。
(裏庭、凄く広い。これ全部、お絹さんが手入れしてるのかな)
英太郎の部屋のバルコニーから見える庭には花壇があったが、こちらは家庭菜園のようだった。建物内部だけでなく、庭もシルキーの管理領域らしい。
物置らしき古い小屋やビニールハウス、立派な木にも興味を引かれたので、あとで見に行こうと心に留めておく。
(そしてここがお絹さんの部屋、と)
バルコニーの向かい側にあるのが絹葉の部屋であることは、先ほど本人から教えてもらったばかりだ。
廊下を戻り、二階の西側のフロアに向かう。客室が二つとトイレ(シャワー式だった)、洗面所があった。どこも非の打ち所がないくらいに掃除と手入れが行き届いていて感心すると同時に、何十年もこれらの部屋や施設が使われてなかったのかも、と想像して、切なくもなる。
(お絹さん、どんな気持ちで何十年も一人で暮らしてたんだろ)
あるいは、邪魔な人間がいなくて幸せな時間を堪能していた、という可能性も充分考えられたが。
洋館の中央にある階段で一階に下りた英太郎は、先ほど絹葉と話したリビングの反対側へと向かう。
(ここは客間で、こっちは……食堂か)
ちょっとしたパーティーも十分できそうなくらいのスペースも、当然のように清潔感に溢れている。テーブル中央に飾られているバラは、庭に植えられていたものかもしれない。
食堂の隅にあるドアを進むと、台所に出た。
(台所っていうか、厨房とか、調理場って感じかな)
ちょっとした店でも開けそうなくらいに広い台所で忙しそうに動き回っている人物がいた。シルクのドレスと台所という取り合わせは確かに奇妙なのだろうが、不思議と馴染んで見えた。絹が立てる衣擦れの音が耳に心地よく響く。
「夕食は七時からだと言いましたが」
英太郎に気づいた絹葉が、挽肉をダイナミックにこね回しながらこちらに顔だけを向けてくる。
「今のうちに家の中を見ておこうと思って」
「なるほど」
(あ、まずい、料理の邪魔して怒らせちゃったかな)
家事妖精にとって台所は聖域かもしれないと気づき慌てる英太郎だったが、
「もしお腹が空いてるなら、冷蔵庫から適当になにか持っていってください。ただし、プリンは許しません。私のものです。私の甘味に手を出した瞬間、あなたは二度とこの家の敷居をまたげなくなると覚悟することです」
どうやら絹葉は別に機嫌を害してはなさそうだった。ただ、プリンに手を出したら間違いなく機嫌を害すだろうが。警告を発する目が赤く輝いて、ちょっと怖い。
「いや、せっかくだから、お絹さんの料理堪能するためにも腹を減らしておくよ」
「いい心がけです」
こくん、と絹葉が頷き、再び料理に戻る。
(邪魔しないほうがいいよね、これは)
屋敷の内部は一通り見学できたので、英太郎はおとなしく二階の自室へと戻り、バルコニーへと出た。いつの間にか夕陽も沈みかけ、空には月も見える。
(こっからの風景は、完全に日本なんだけどなー)
古い木造一軒家、人気のない公園、すっかり塗装が剥げたマンション、コンビニとドラッグストアの看板、細い道を走る自動車のヘッドライト。
そんな見慣れた九州の光景が広がっているのに、今日からイギリス風の洋館で、イギリス生まれの美しい妖精と一緒に暮らすという現実とのギャップが面白くて、英太郎はつい笑ってしまった。
(これでお絹さんの料理が純和風だったら、それはそれで面白いな)
ちなみに絹葉の用意してくれた夕食は完全に洋風で、素晴らしく美味で、そしてとんでもなく大量だった。
どうやら絹葉なりに自分を歓迎してくれてるようだと知り、英太郎はひとまず安堵した。

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