【2018年2月19日】

純情なサキュバスだっているんです!出だしたっぷり公開

雨野智晴&たにはらなつき、最強コンビが美少女文庫に降臨!

プロローグ 謎の少女~亜人たちがいる世界で~
「そろそろ名前くらいは教えてもらえると助かるんだけどなあ」
東雲暁彦は右の頬を人差し指でぽりぽりと掻きながら、目の前のソファーに座る少女に笑いかけた。
とある研究所内にあるこの部屋の中には、少女の座るソファー以外は何も置かれていない。質素な部屋だ。にもかかわらず、華やいで見えるのは間違いなく少女の存在があるからだろう。
一流の人形職人の腕をもってしても再現するのは無理だろうと思わせるほどの整った顔立ち。大きな瞳は琥珀色に輝き、桜色の唇はぷっくりと艶やかに潤っている。
どちらかと言えば幼さを感じさせる容貌の少女。にもかかわらず、すでに義務教育を卒業した息子を持つ暁彦が思わず魅入ってしまうくらいに、妖艶な色気を醸し出していた。
そして、何よりも彼女の個性を際立たせているのは頭部から伸びた小さな二本の角と背中に生えた黒い羽、そして臀部から覗かせるハートに似た形状をした尻尾だ。
ハロウィンのコスプレってわけではない。正真正銘、本物の角と羽、尻尾だった。
――当たり前の話だが、彼女は人間ではない。
この世界に人ならざるものが流れ着くようになってから二十年ほどの月日が経った。
暁彦はその人ならざるもの――亜人種と様々な交渉をし、管理をする交渉管理人という職についている。今回、今までに見たことのない新種の亜人が流れ着いたとのことで、暁彦がその対応をすることになったのだ。
(――にしても、もう一週間か。この俺がここまで手こずっちまうなんてなあ)
交渉を開始してから一週間の間、少女はずっと、このソファーに座り、基本的には何をするでもなく、ただ時間が流れるのに身を任せていた。
彼女が望めばなんでも用意すると伝えているにもかかわらず、彼女は何も要求しないのだ。暁彦が用意したこちらの世界に関する資料にはきちんと目を通しているので、すべてに絶望しているというわけでもないのだろうが。
「お腹は空いてないかい?」
暁彦が問いかけると、ふるふる、と少女は首を左右に振る。シルクのように細く光沢のある銀色の髪が、顔の動きに合わせてサラサラと揺れる。
「もう一度確認するよ。僕の言葉は――つまり人間の言葉は理解できるかい?」
今度はこくり、と頷く。
「その角は、本物だよね?」
少女の目に、少しだけ警戒の色が浮かぶ。
「キミの許可なしに触ったりはしないから、安心して」
暁彦は小さく肩をすくめる。この一週間、ずっとこのやり取りの繰り返しだ。ここまで取りつく島もない相手は初めてのことだった。
「さすがのダーリンもそろそろお手上げかしら?」
背中側の扉が開き、そんな声が暁彦の耳に届いた。その瞬間、目の前の少女が小さく息を呑んだ。大きな瞳がかすかに細められる。
「あらら、やっぱりわたしには敵意を向けてくるか」
「大丈夫だよ。彼女もキミに危害を加えたりはしないから」
暁彦は安心させるように目の前の少女の言うが、少女の視線は厳しいままだ。
「危害を加えるとかの話じゃないわよ。このあからさまな敵意の向けられ方は」
暁彦の隣に並んだ女性は涼しい表情を浮かべながら、髪の毛をかき上げた。黄金色に輝くその髪は、少女の銀髪と比べても遜色のない美しい輝きを放っている。
東雲アリカ――暁彦の妻であり、亜人種交渉管理人としての資格を持っている、公私共に暁彦のパートナーと呼べる存在だ。
「って言うと?」
「わたしがダーリンの奥さんだから機嫌が悪くなっちゃうの。それが彼女には気に入らないのよ」
「いやいやいや、そんなことで彼女の機嫌が悪くなるわけないだろ?」
アリカの言っていることは、簡単に言えば彼女がヤキモチを妬いているってことだ。もしそうであれば、今、暁彦はこんなに苦労していないはずだ。
「ダーリンったらほんと、自分の価値ってものがわかっていないんだから。ま、そんなところも含めて好きなんだけどね。それでね、お嬢ちゃん」
「…………」
「そんなあからさまに身構えないでよ。ダーリンの言ったとおり、あなたに害をなそうって気はないんだからさ。ま、やろと思えば、簡単にできるけど」
「キミがそういう発言をするから、彼女が警戒するんだと思うぞ」
「仕方ないじゃない。こういう発言をしちゃうのが、わたしの〝個性〟なんだから。で、ちょっと相談なんだけど」
アリカは手に持ったA4サイズの封筒を少女の目の前でひらひらと揺らす。
「この子との交渉、ちょっとわたしに任せてもらってもいい?」
暁彦を振り返ってそう聞いた。暁彦は無言で頷く。アリカがそう言うのであれば、それはきっと勝算があってのこと。そのことを暁彦はこれまでの経験で理解していた。
「この一週間、彼女の行動、反応、好み、外見的な特徴を観察し、考察し、想像し、そしてわたしなりに彼女の正体――つまり種族になんとなくのアタリがついたのよ」
ぴくり、と少女の耳が反応する。
「本当か!?」
「ええ。ダーリンが根気強く会話を続けてくれたからね。で、正体の予測がつけば、彼女が何に興味を惹かれるのか、それは自然と見えてくるわ――で、どう? この子にだったら、あなたも心を開いてもいいかもって思うんじゃないかしら?」
アリカが紙袋から一枚の写真を取り出し、彼女の目の前にかざした。
「……っ!」
その瞬間、明らかに少女の表情が変化した。琥珀色の目が見開かれる。その視線は写真に吸い寄せられ微動だにしない。陶器のように白かった肌が紅潮していた。
「予想通り興味津々みたいね。あなたのダーリンへの反応を見て効果はあるだろうなと思ったけど、まさかここまで食いついてくるとはね。この子の情報、知りたい?」
こくん、こくん、と二度頷く。
「なら、交換条件ね。あなたの名前は?」
「カレン」
即答だった。透き通った、風鈴のような声が室内の空気を震わす。その容貌によく似合った、とても綺麗な声だ。
「カレンね。いい名前じゃない。あなたにぴったりの名前ね。それで、この子にだったら、あなたの面倒をみさせてくれる?」
カレンは五秒ほど考えた後に、こくりと頷いた。
「ってことなんだけど、どう思う? カレンの管理をこの子に任せてみるのは」
アリカが振り返って、写真の暁彦に見せる。そこに写っている少年の姿を見て、暁彦は驚きの表情を浮かべた。
「こいつに管理を、任せるのか?」
「うん。いいアイディアだと思うけど。そろそろあの子も経験しておいた方がいいと思うし、カレンはあの子にしか管理を許さないと思うわよ」
確かに、少女――カレンの態度がここまで変化したのは、写真を見たからだ。であれば、管理を任せてみるのが最善の手であるのは間違いないだろう。
「そうだな。俺たちのバックアップは必要だと思うが、任せてみるのもいいかもな」
その言葉に誘われるかのように、カレンが暁彦の顔を覗きこむ。その顔には、これまた初めて見る微笑みが浮かんでいたのだった。

第一章 同棲希望~私は清純なサキュバスなんです!~
「であるからして、それぞれの種の個性を尊重しつつも、共存していくために――」
教壇に立つ老教師の声が教室の中に響いている。しかし、まじめに聞いている生徒はどれほどいるのだろうか。東雲龍斗はそんなことを考えながら、ぼんやりと教室を見回した。
クラスメイトの数は全部で三十二人。五年ほど前までは、深刻な少子化問題の影響もあり、日本全国の平均で一クラスあたりの生徒数は二十人前後まで減少していたらしい。
しかし、各国政府の思惑と努力の結果、亜人種という異世界からの漂流者が人間社会で普通に生活するようになってからは、その問題も少しは解消されてきているようだ。
代償として、必須科目に各種族について知識や交流方法を学ぶ授業が組みこまれたり、それぞれの種の性質を重んじるために学校の空気そのものが変わってしまっていたりもするのだが。
龍斗が視線を向ける窓際の席では、女子生徒が堂々と机に突っ伏して居眠りをしている。しかし、そのことを先生が注意することはない。
それが彼女に――彼女の種族に与えられている権利のひとつだからだ。
四時間目と五時間目の授業はお昼寝の時間にあててもいい。なんとも羨ましい権利だ。
春の柔らかな陽射しが窓から差しこんで、ポカポカと女子生徒の身体を温めている。
きっと心地よいのだろう。彼女の頭から生えているフカフカした毛に覆われた三角形の耳が気持ちよさそうな揺れていた。
彼女の種族は猫又。名前を珠鈴と言う。猫に似た特徴を持つ人型の種族で、亜人の中ではとりわけ人に近い性質を持っている。
そんな猫又の少女の後ろの席には、衣替えの前だというのに夏服を着た女子生徒がぴんと背筋を伸ばして座っていた。
濡れたように艶やかな黒髪を背中まで伸ばし、肌の色はシミひとつない白色だ。整った顔立ちは派手さはないが清楚さを感じさせる。
如月雪花――学校内でも人気の高い女子生徒だ。
そんな彼女の机の上には三台の卓上扇風機が置かれ、白い肌に強風を浴びせかけていた。それでも、よくよく見てみると彼女の肌はしっとりと汗をかいている。
雪女――それが彼女の種族だ。極端に暑さに弱いため、常に扇風機の使用が認められているのだ。
他にも体長が三十センチほどしかない妖精族や頭に角の生えた鬼族、月を見ると変身してしまう獣人など、一昔前までは伝承や創作物の中でしか存在していなかった種族のオンパレードだ。
――なんてことを考えていると、授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「にゃにゃにゃ!」
チャイムの音に誰よりも早く反応したのは、熟睡していた猫又だ。ピンッ、と耳を立て、勢いよく上半身を起こすとくるりと背後を振り返る。
そして、龍斗と視線が合うと、にっこりと笑顔を浮かべ、軽やかな動きで龍斗の席へとやってくる。
「ねーねーリュート。一緒にお昼行かにゃい?」
「パス」
「うおー即答だー。断るにしても少しは考える素振りくらい見せてくれてもいいのにー。ぶーぶー」
ぷくっと不満そうに頬をふくらませる。とても素直で愛嬌のある感情表現だった。
こういうところが猫又族が人から愛される理由のひとつなんだろう。
「っていうか、なんでなんで? パスの理由を教えてよー」
「それは――」
と龍斗が理由を答えようとしたところで、
「私とお昼をご一緒するからですよね?」
隣から丁寧で涼し気な声が割りこんでくる。姿を確認するまでもなく雪花の声だ。
「え? リュート、ユナッチと約束してるの?」
「いや、してないぞ」
「私と龍斗の間に約束なんて必要ないですからね。私と龍斗は心が通じ合っていますから。さあ龍斗、一緒にランチに行きますわよ」
「いや、そっちもパスで」
「ってなんでですの!」
雪花の形よい眉がつり上がって、その隣で珠鈴が「ぶふっ」と吹き出した。
「だって、雪花と一緒にご飯って、例のかき氷屋さんだろ?」
「もちろんですわ。当然、お昼と言えばかき氷。あそこのかき氷ランチは至高ですからね」
雪花の姿を見てわかる通り、雪女という種族は極端に暑さに弱い。それは食事でも同様で、熱いものは常温に冷めるまで食べられず、常温でもやや熱いという感覚らしい。
だから、ご飯にしろ味噌汁にしろ、なんでも冷蔵庫で冷やしてから食べるのが雪女界での一般常識なのだ。そんな雪女にとってアイスやかき氷は最高の料理らしく、一緒にご飯を食べに行くと十中八九その選択になる。
「かき氷は人間にとっては食事にはならないんだよ。あれはオヤツだ」
「それは龍斗がイチゴとか練乳とか、オヤツ系をチョイスするからですよ。私みたいに鯖味噌ご飯氷とか、カツカレーライス氷を頼めばいいのですわ」
「それはそもそも人間の食べ物ではない」
「龍斗、食わず嫌いはダメですよ。挑戦してみたら、結構ハマってしまうってこともあるじゃないですか。ですから、一緒に――」
「いや、やっぱ今日のところは遠慮しておくよ」
「誰かと先約でもありますの?」
「あるの? 誰? 何族の女の子?」
ふたりの視線がじっと龍斗の顔を見つめる。龍斗はやれやれを肩を竦めて、カバンからコンビニで買った菓子パンをふたつ取り出す。
「昨夜、ちょっと寝付けなくてさ。今日の昼休みは机で寝ようと思ってたから、これ、買ってきてあるんだ」
「そうなんだー。じゃあ、あたしも教室で食べて、リュートと一緒に寝るー」
「なら、私もそうしますわね」
そう言って、ふたり仲良く学食へと買い出しに行く珠鈴と雪花。
――結局、この昼休み、龍斗が昼寝をすることはできなかったのだった。

◇◇◇
「あれ? 鍵が開いている」
隣の町にある学校から徒歩で二十五分。龍斗の家は閑静な住宅街にある一軒家だ。
両親共に亜人種交渉管理人という職についてるため、一年の七割ほどは専門の施設で生活をしている。
その為、龍斗は小学生の頃から4LDKの広さを持つこの家で、ほとんどひとり暮らしのような生活を送ってきた。だから、玄関の鍵を閉め忘れるなんてミスをすることは基本的にはないはずだ。
一瞬、もしかして泥棒か? とも考えるが、それだったらもっと大騒ぎになっているだろう。両親ともに交渉管理人という特殊な仕事をしている関係上、この家には一般家庭では考えられないほどのセキュリティシステムが導入されている。泥棒など入れるはずもなかった。
「親父たちが帰ってきてるのか?」
連絡もなしに家に帰ってくるなんて、今までにはなかったことだが、普通に考えればそれが一番確率が高いだろう。
「ただいま。親父、お袋、帰ってくるんだったらメッセージくらい送ってくれよな」
玄関を開け、両親がいるであろうリビングに向かいながら、大きめの声で言う。
「晩飯の用意だって――」
そこまで言葉にして、龍斗の動きが固まった。
予想通り、リビングには人がいた。しかし、その人は予想外の姿だった。
見たこともない女の子がソファーにちょこんと座っていた。すごい美少女だ。けど、龍斗の記憶の中に、この女の子の姿はひとつもなかった。
「え、えっと、誰?」
女の子は龍斗の姿を見ると、ぱっと華やいだように笑みを一瞬浮かべた後、慌てたようにキリッとした表情に戻す。
そして、立ち上がると龍斗に歩み寄り、無言で封筒を渡す。
「俺に?」
こくり、と頷く。
龍斗へ。封筒の表側には見慣れた筆跡でそう書かれていた。
「これ、親父から?」
「そう。読んで」
凛とした声が返ってくる。とても綺麗な声だ。
「親父がわざわざ手紙を書くなんて、珍しいな。ええと――本人の希望により、この子の面倒をお前にみてもらうことにした。この子の名前はカレン。見ての通り亜人だ。だから、こっちの――って、えええええええええええっ!!!!!!!」
「な、なにごとっ!?」
いきなり大声を上げた龍斗に、カレンがびくっと怯える。
「なにごとはこっちのセリフだって。な、なに、この手紙っ?」
「あなたのお父さんからのお手紙。私のお世話をしてくれって」
「それは見ればわかるよ。い、いや、わかるんだけど、意味がわからない」
「お世話をするって言葉の意味が理解できないってこと?」
「それもわかる。俺がわからないのは、どうして俺が――っていうか、本当にこれを親父が?」
「はい。お父さんと、それにお母さんも。むしろ、お母さんの提案でした」
「マジで!?」
「はい。手紙の最後の方を見て下さい」
カレンに言われるまま、龍斗は目線を手紙の下の方へと移していく。
そこには、女の子っぽい可愛らしい筆跡で『リューくんならやってくれるわよね? 愛するお母さんの頼みだもんね?』と書いてあった。
「終わった……」
龍斗は頭を抱えた。お袋が言い出したってことは、龍斗に拒否権はない。
逆らいでもしようものならどんな目に合わされるか……。想像しただけで、じっとりとした汗が背中を濡らす。
(けど、本当に俺が面倒をみるのか? この女の子の)
今まで他人の世話なんてしたことはない。小さい頃からほぼひとり暮らしみたいなものだったから、家事全般は一通りこなすことはできる。
でも、それは自分ひとり分だったからで、これが他人の分も一緒にってなると、また話は違ってくるだろう。
それに、人間ならまだしも、目の前の子は亜人だ。
しかも年頃の女の子だし、ハッキリ言ってかなり可愛い。龍斗が今まで会った中でも、間違いなくトップクラスに入る美貌の持ち主だった。
(そんな子の面倒をみる? 俺が?)
突然の展開に、色んなことが脳裏に浮かんでは、ぐるぐると渦巻く。
「あの、嫌ですか?」
小さな声が、龍斗の耳朶をうった。
上目遣いの瞳が、小さく揺れながら龍斗のことを見ていた。不安そうな顔だった。
当たり前だ。彼女は亜人で、つまり、いきなりこっちの世界――人間社会へと流されてきたわけで。
ひとつも知っている場所のない世界、ひとりも知っている人のいない社会。
そんな中で、頼れる相手だと聞いてきたのに、こんな反応をされたら不安になるに決まっている。
困ってるヤツがいたら、まずは話を聞いてやれ。助けられると思ったら助けてやれ。それができないとしても、寄り添ってやれ。
――親父とお袋から、ずっとそう言われてきたのにな。
「ごめん。いきなりだったから、ちょっと取り乱した。でも、嫌じゃないよ」
龍斗に不安がないわけではない。むしろ不安だらけだ。
けど、目の前の女の子の不安に比べたら、こんな不安は屁みたいなものだ。
「本当に? 私、迷惑じゃない?」
「うん、迷惑じゃない。だって、俺のことを頼ってきてくれたんだろ?」
カレンはこくん、と迷いなく頷く。であれば、龍斗は覚悟を決めるしかない。
それに、いつかは自分もそうなりたいと思っていた道だ。両親のように、こちらの世界に流れ着いてしまった亜人たちの支えになりたいと。
その第一歩が今日、目の前にやってきただけだ。
「俺は東雲龍斗。よろしく」
右手を差し出すと、カレンは不思議そうにその手を眺めた後「あっ」と気づいて、慌てて龍斗の右手を握りしめた。
龍斗に比べて、とても小さな手だった。
「私はカレン。よろしくお願いします」
しっかりと手を握りしめながら発した言葉は、カレンがこっちの世界に来てから初めて、安心したように響いたのだった。

◇◇◇
ベッドの上に寝転がりながら、龍斗は分厚い資料に目を通す。
あの後、すぐにバイク便がやってきて、亜人種交渉管理人のしおりなる資料を届けてくれたのだ。
一旦、書類に目を通したいからと、カレンを寝泊まりしてもらう部屋へと案内した後、自分の部屋に戻ってきた。
「え~と、なになに?」
書類には暁彦が長い年月をかけて得た、亜人種に対する様々な情報と接し方。また、亜人種交渉管理人としての心構えや責任などが書かれていた。
「『はじめに、交渉管理人は、管理対象者である亜人種にとっての一番の理解者であり協力者でなければならない。亜人種は表面的にはどうであれ、必ず大なり小なりの不安や不満を抱えているものである。そのことを常に忘れず、接していくこと』か」
考えてみれば、親父はいつだってそうやって過ごしてきたのだろう。
幼い頃からほぼひとり暮らしだった龍斗。それは、見方によれば龍斗のことを蔑ろにしているようにも思える。けど、龍斗はそんな父親を尊敬していた。素直に凄いと思えたのだ。そして、いつか自分もそんな風になりたいと。
「次は――『亜人種を管理をするに当たって、最初に行うこと。それはこちらの世界の常識と、亜人種がもともと暮らしていた世界の常識を照らし合わせ、齟齬をなくすことである。我々が一般的な常識だと思っていることでも、別の世界の住人からしてみれば非常識に思えることは多々あるのである』か。特に注意すべきことは健康、食生活ね。確かに、食生活ってまるで違うもんな」
クラスメイトたちを思い浮かべるだけでも、その食生活はバラエティに富んでいた。
猫又である珠鈴はネギ類は食べられないし、お茶やコーヒーなどカフェインが含まれた飲み物を飲むと興奮してしまう。雪女の雪花は基本的に熱いものは食べられず、かき氷ばかり食べている印象がある。
「だから、食事は可能な限り一緒にとって、何が好物なのか、アレルギーがあったり消化できない食物がないかを把握しておくこと、か。カレンって何が好きなんだろう?」
この家で一緒に暮らすってことは、特に問題がなければ基本的には龍斗が作った食事を食べることになるはずだ。
料理の腕にはそこそこ自信はあるが、やはりちょっと不安だな。
「好み、聞いておくか――って、そもそもカレンの種族を知らないぞ、俺」
資料の中を確認してみても、カレンの種族に関する記述はどこにもなかった。
カレンの外見から判断しようにも、国から発表されている『現在、種族の特定されている亜人種の一覧』に該当しそうな種族はなさそうだった。
(……これは自分で直接訊けってことなんだろうな)
スマホを見て時間を確認する。夕食の準備に取り掛かるには丁度いい時間だった。
せっかくだし、今晩は歓迎会ってことで、カレンの種族と好みを聞いて、彼女の好きなものを用意してあげよう。
そんなことを考えながら、龍斗は自分の部屋を出て、リビングへと向かった。

リビングへ入ると、そこにはひとりでソファーにちょこんと座っているカレンの姿があった。テレビをつけるわけでもなく、読書をするわけでもなく、ただひとりで何もせずに座っている。
「あれ? もしかしてあの部屋、なにか問題あった?」
カレンを案内した部屋は、お客さんが来た時用の部屋で、家具類は一通り揃っているはずだ。掃除も定期的に行っているので、埃っぽいとか、そんなこともないはずだ。
とはいえ、カレンは人ではない。龍斗では気づけない問題が早速発生したのかもしれないと少し心配になる。
「いえ。特に問題はありませんでした。ただ――」
「ただ?」
「ひとりで部屋にいるのもつまらないですから。特にやることもありませんし」
「あ、そっか」
今回も自分基準で考えてしまっていたと龍斗は反省した。
自分であれば、テレビを見たり、スマホでゲームをしたり、本を読んだりと、ひとりでも退屈をしのぐ方法がいくらでも思いつく。
でも、カレンにとってはそういう知識すらなかったりするのだ。
今、彼女にとって一番必要なのは会話をすることで、きっと一番楽しいと感じられることも会話をすることなんだろう。
だから、この場所で龍斗が来るのを待っていた。
「ごめんね。俺、いきなりカレンのことを放っておいた」
「ううん、別に謝る必要はないです。いきなり押しかけたのは私の方ですし、あなたにも色々と準備が必要なのは理解してますから。私は気にしてないです」
「それでもごめん。やっぱり俺がもっと気にするべきだったよ」
何もかも、ちゃんと考えないとダメだ。俺はカレンの一番の理解者で、協力者でないとダメなのだから。
「それで、今から晩御飯の準備をしようかと思うんだけど」
「晩御飯?」
「うん。で、せっかくだから一緒にどうかなって思ったんだけど」
「へ?」
その瞬間、カレンの雪のように白い肌が一気に朱色に染まった。
「い、い、いきなり何を言い出すのですか!?」
「え?」
「あ、会ってから、まだ二時間くらいしか経っていないのに、い、いきなり一緒に食事だなんて……」
「あ、ごめん。もしかして、カレンの世界だと食事ってすごく重要な意味を持ってたりする?」
「当たり前です。食事をして栄養を摂取しなければ生命活動を維持することはできません。あなたたち人間は違うのですか?」
「それは違わないよ。そういう意味での重要さじゃなくて、なんて言うかな。たとえば家族とか特別な関係でないと一緒にしないようなことなのかなって思って。俺たち人間の世界だと、一緒に食事をするって仲良くなるための第一歩だったりするからさ」
「…………」
「だから誘ってみたんだけど、無理強いをしたいわけじゃないから、嫌だったり無理だったら、ぜんぜん断ってくれてもいいんだけど。育ってきた環境も、常識とかもまるで違うわけだし」
龍斗がそう言うと、カレンはゆっくりと息を吐いてから、左右に首を振った。
「いえ、今のは私のミスでした。私が未熟でした。いきなりあなたから食事と言われ、気が動転してしまいました。ようするに、あなたの言う食事は人間式の、米とか肉とか野菜とかを調理し、口から摂取する行為のことを指しているのですよね?」
「うん、そうだよ。あ、もしかして、身体の構造上、カレンってそういった食事はできなかったりする?」
「いえ、できないことはないです。そういった文化は私の国でもあります。美味しいものを食べると幸せな気持ちになりますから、基本的には娯楽として、そのような食事を行なっていました。人間と違って、必ずしも必要ってわけではありませんが」
「へえ、そうなんだ」
食事をする必要がない種族か。珠鈴や雪花とは違うみたいなだ。あのふたりは、むしろ食事最優先ってところがあるし。
「ですから、夕飯にはお付き合いします」
そして、にこりと笑顔を浮かべる。
「よかった。それで、カレンは好き嫌いとかある? せっかくだし、今日は歓迎会ってことでカレンの好きなものを用意しようかと思うんだけど」
「私の好きなもの……ですか」
カレンの視線がゆっくりと下がっていく。そして、かすかに頬を朱色に染めた後、少し潤んだ瞳で龍斗の顔を覗きこんだ。
その色っぽい表情に思わずどきりとしてしまう。
心の奥の方をぎゅっと掴まれるというか、脳の裏側をじんと痺れさせられるというか、そんな不思議な感覚が襲ってきた。
「な、なんでも作るよ。カレンが食べたいものなら」
思わず声が上ずってしまう。
そんな龍斗の顔を覗きこみながら、カレンは少しだけ考えて、
「そうですね。すっぱいものはあまり好きじゃないです。好きなものはイカとかタコとか。魚介類は基本的に好きですね。あとは……」
「あとは?」
「山菜、特にキノコとか好きです」
「そっか。イカとキノコか。なら、冷蔵庫にあったと思うから、バター醤油で炒めようかな。主食はご飯――米で大丈夫? パンの方がよかったりする?」
「米飯で大丈夫です」
「そもそもなんだけど、カレンの世界って米とかイカとかの食材ってあったの?」
「そのまま同じものはありませんが、非常によく似た食材は存在していました。調味料も、調理方法も似たようなものでしたら、人間相手と話すのと同じようにしていただいて、だいたい理解できると思います」
「なるほどね。こっちの世界のこともそれなりに理解してるみたいだし、もしかして、カレンの世界の人たちって、人間の世界のことを知っていたりするの?」
亜人種は異世界から流れ着く。つまり、この人間が暮らす世界とはまるで別の世界が、現在の科学力をもってしても観測のできない場所に存在していることになる。
それがどのような場所にあるのか? どうやって亜人種たちがこちらの世界に流れ着くのか?
そのことに関しては未だに解明できていない。
だから、流れ着いた亜人がこちらの世界のことを知っていることは基本的にはないはずなのだが、もしかしたら、人間の世界以上のテクノロジーを持っていて、こちらの世界を観測することができていたという可能性もないとは言いきれない。
「施設にいる時に、暁彦から資料を見せてもらいましたから。それに、自分の世界にいた時、人間の世界のことを題材にした物語がたくさんありました。それはあくまで想像で書かれたものだったけど、不思議と類似点が多いみたいだから知ってると言えないこともないかもしれないです」
「へえ、そうなんだ」
「はい。日本とか、東京とか、地名まで一緒だったからかなり驚いてます」
そこまで一致してるとなると、その物語を初めて書いた人――人じゃなくて亜人か、は本当にこっちのことを知っている人物なのかもしれない。
いや、もしかしたら本当に〝人〟なのかもしれない。亜人がこちらに流れ着くのと同じように、人が別の世界に流れ着く可能性だって十分に考えられるはずだ。
――って、待てよ。それって逆も然り、だよな。
カレンが言語化してくれたことで気づいたけど、珠鈴にしろ雪花にしろ、さまざまな亜人たちを人間社会が比較的すんなり受け入れることができたのは、みんな知っていたから、ではないだろうか?
アニメ、ゲーム、漫画、もっと遡れば童話、神話――様々な創作の物語の中で、龍斗たちは亜人の存在を知っていた。そして、物語の中での亜人の姿と、今、現実に現れた亜人の間に大きな違いはないと思われる。
それってつまり、その物語のオリジナルを書いた人間は亜人のことを知っていたということではないだろうか?
「あの、どうかしましたか?」
「え?」
「さっきから難しい顔をしていますが、何か問題でも発生したのでしょうか?」
「あ、いや、ごめん。ちょっと考え事してた」
そうだよな。今は考え事をするよりもカレンとの交流を進めるほうが大切だ。
「ええと、晩御飯に話を戻すけど、お米のご飯に、イカとキノコのバター醤油炒め、あとはお味噌汁とほうれん草のおひたしでも作ろうと思うけど、それで大丈夫?」
「はい。問題ありません。あなたの料理、楽しみです」
そう言って、にこっと笑みを浮かべてくれる。そんな風に言われると、気合を入れざるを得ない。
「じゃあ、悪いけどちょっと待ってて。急いで用意するから。あ、それとカレンの種族のことなんだけど」
「はい」
「それって訊いてもいいのかな?」
龍斗にとって、亜人種交渉管理人の仕事は初めての経験だ。
どのタイミングで種族のことを訊くのが正しいのか、どの程度仲良くなったら種族のことを教えてくれるのか。すべてが手探り状態だ。
「ええと、別に構わないです。あなたのことは信用していますから。ただし、私の種族のことに関しては、まわりには内緒にしておいてほしいです。約束してくれますか?」
カレンの真剣な表情に、龍斗は頷く。
「よかったです。私の種族、世の中に広まるとちょっと大変なことになりそうな気がしますので」
「大変なこと?」
「はい。その、こっちの世界の物語で私の種族がどんな風に語られているのか、暁彦に聞きました」
「それは、もしかして悪く書かれているとか?」
たとえば死神とか、悪魔とか。
悪魔――と言われたらそう見えるかもしれない。頭の上の角も、背中に生えている羽も、お尻から伸びている尻尾も。
「悪く、ですか? そうですね、どちらかと言えば私の種族は人間に害なす存在のように描かれることが多いみたいです。もちろん、私にそんな気はないのですが」
「であれば、そんなに大変なことにはならないんじゃないかな」
すでに何種もの亜人たちがこの世界で生活している。物語上、人間の敵として描かれていたとしても、それだけで弾圧や排除をするとか、そんなことにはならないはずだ。
「いえ、その、敵として見られる云々よりですね、もっと厄介と言うか」
なぜかカレンの雪のように白い肌が朱色に変化している。
「厄介?」
「そ、その、本当はそんなことないんですからね! ああいうことは、正式にお付き合いをして、将来の約束をしてからすることであって!」
「えっと、なんの話?」
いきなりヒートアップしながらワケのわからないことを言うカレンに向けて、首をかしげる龍斗。
「あ、すみません。少し取り乱しました」
コホン、と小さく咳払いをして、カレンが仕切り直しをする。そして、じっと龍斗の顔を見つめながらカレンはその言葉を口にした。

「――私、サキュバスなんです」

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