【2018年5月18日】

出だし公開 狐に嫁入り

序章 嫁入り
「春夏は本当になんでもできるいい子ね。自慢の息子だわ」
母の言葉――幼い頃から何度も、それこそ耳にたこができるくらい聞いてきた愛情に満ち溢れた言葉だ。それを口にする時の母は、本当に愛おしそうな表情を浮かべていた。顔だけでわかる。母の言葉が心の底からのものだということが。
そう、本当に母は愛情に充ち満ちた人だった。
いや、母だけではない。父もだ。
「春夏……お前は本当に素晴らしい。九条家の跡取りとしてお前ほど相応しい人間はいない。父さんは嬉しいぞ」
瞳を細め、頭を撫でながら語る父。
千年も前から続く名門九条家。その当主であり、九条グループの総帥である父。九条のためならばどんな汚い手だって使う人だ。きっと表には出せないような汚いことにも手を染めている。しかし、そんな人間とは思えないほどに、彼の言葉の中にも愛が充ち満ちていた。
それだけの愛を両親から向けられる。子供としてそれ以上に幸せなことはないだろう。
ただ、問題はその言葉は自分に向けられたものではないと言うことだ。
両親に愛を向けられているのは九条春夏。僕――九条秋冬の兄である。
そう、二人に愛されているのは兄さんだった。
――僕じゃない。

「それじゃあいただきましょうか」
朝食の時間――テーブルに並べられた食事を前に母が両手を合わせる。それに従うように父と兄も同じように両手を合わせて食事を始めた。
僕はそんな光景をテーブルの脇に立って見つめる。
「確か今日は学校でテストがあるんだったな。しっかり勉強はしているのか?」
こっちの視線などまるで気にすることなく、父は兄に話しかける。
「大丈夫。任せてよ」
兄は自信満々な様子で胸を張った。
「ふふ、頼もしいわね」
母が嬉しそうに瞳を細める。
そうした様子を満足そうに見つめながら、父は朝のコーヒーを飲み干した。それを確認した僕はすかさず動く。すぐさま父のカップにコーヒーを注いだ。
「まぁ春夏のことだから大丈夫なんだろう。とはいえ油断は禁物だぞ」
でも、父は僕に対して視線の一つも向けてこない。父が見ているのは兄だ。大切なのは家族。給仕係など装飾品にすぎない――とでもいうような態度だった。
そのことに僕の胸はギュッと締めつけられる。すごく痛い。
(どうしてなんだろう? ちっちゃい頃から父さんたちの態度は変わらないのに、なんでこんなにつらいのかな?)
生まれてから十数年――ずっとこんな扱いだ。慣れたっておかしくない。だというのに、つらさや苦しさはいつまで経っても僕の心から消えてくれることはなかった。
そうしたつらい光景を見せつけられた後で、僕は一人で食事をする。ちなみに家の食事は全部僕が作っている。いや、食事だけじゃない。家の掃除だって僕の仕事だ。というか、ありとあらゆる雑用係とでもいうべきだろうか? 僕の立場を一言で言うならば、この家のための召使いといったところか……。
この家にはメイドや執事だっているというのに……。
って、そんなことを考えたところで仕方がない。きっと僕が悪いんだ。兄さんみたいないい子じゃないから……。
(いい子にしようって頑張ってはいるんだけどな)
自然と漏れ出てしまうため息を抑えることができなかった。

父の書斎に呼び出されたのは、とある休日の朝のことだった。
(僕……何かしちゃったかな?)
書斎に呼び出される。ここ数年なかったことだ。というか、父とまともに会話をすること自体、一年ぶりくらいな気がする。正直僕は緊張した。いい話だとはとてもではないけれど思えなかったからだ。
(何を言われるんだろう? もしかしてお小遣いを減らされる?)
一応小遣いくらいはもらってる。ただ、小遣いと思っているのは多分僕だけだ。父は給料と言っている。働きに見合う金額ということだ。通っている学校で必要な費用はそこから払っている――さすがに学費だけは出してもらってはいるけど――。ちなみに僕と兄さんは同じ学校に通っている。
『世間体というものがあるからな』
進学の際、父からはっきりそう言われた。
九条の人間が高校にも通わないなんてあってはならない。だから学校には通わせる――ということらしい。
(お小遣いを減らされたら……困るな。修学旅行の積み立てを払わないといけないし。ウチの学校ってお坊ちゃまお嬢さま学校だから一々が高いんだよなぁ。いや、でも、減額と決まったわけじゃない。だとすると……仕事量が増やされるとか? でも、仕事が増えたら勉強してる時間が……。いや、それともまさか家を追い出されるとか? だけど……さすがにそれはないよね)
世間体というものを気にしている父が子供を放逐するとは思えない。それに、曲がりなりにも今日までずっと一緒に暮らしてきたんだ。家族だ。その家族を追い出すなんてことはしないと思う。というかして欲しくない。
なんてことを考えていた僕に対して父さんが向けてきた言葉は――
「お前には家を出てもらう」
というものだった。
「――え?」
その言葉に僕の頭は真っ白に染まった。
(聞き間違い?)
一瞬そんなことを考える。
「もう一度言う。お前には出ていってもらう」
現実だった。間違いなんかじゃなかった。父は僕に出ていけと言っている。
「あ……でも……」
いつもだったら二つ返事で頷いているところだ。どんな命令だって聞くいい子でいたかったから。そうすればいつか父と母が自分を見てくれるんじゃないかと思ったから。
でも、今回は頷けない。家を出るなんて、それこそ完全に父さんたちとの関係は終わってしまう。それがとても怖かった。
「これは決定事項だ」
僕の抗議なんて無意味だった。どこまでも冷酷な言葉を向けてくる。そんな父に対して僕にできることなんて、
「……わ、わかりました」
やっぱり頷くことだけだった。
だけど、どうすればいいんだろう? この家を追い出されて僕はどこにいけばいい?
目頭が熱くなる。涙が零れ落ちそうだった。それに怖い。凄く不安だった。
「安心しろ。お前が行くべき場所は決定している」
「え?」
僕の不安を読み取ったような父の言葉に首を傾げる。
「お前は家を出て、社に行け。今晩からお前は社で暮らしてもらう」
「……社」
父の言葉に僕は思い出す。家の敷地内に建てられている社のことを。
社の名前は九条神社。建てたのは九条家初代九条時実。なんでも時実は陰陽師だったらしい。とある化け物を退治し、社に封じた。その功績で時実は昇殿を許される身となり、以来九条家は千年に渡って繁栄している――という話だ。
「でも、確かあの社には近づくなって……」
子供の頃からきつく言い渡されている。
「それは昨日までの話だ。今日からお前の家はあの社だ」
有無を言わさない言葉だった。
なんで? どうして?
父の命令に対する疑問が心の中で渦を巻く。でも、僕はそれを口にできなかった。
「わかりました」
完全に捨てられたわけじゃない。それならばいつか拾ってもらえるかも知れない。家族として兄のように接してもらえるかも知れない。だから逆らっちゃいけない。いい子でいないといけない。
父に逆らうなんて選択肢は僕にはなかった。

家の敷地内に建つ社へとやって来る。ぐるりと塀に囲まれた社。塀の中に入るには鳥居を潜るしかない。僕は鳥居の前に立ち、目の前の拝殿を見つめながら立ち尽くした。
拝殿に本殿――手水舎だってある。しかも、本殿の隣には人が暮らすための家のようなものまで設置されていた。一階建ての平屋だ。時代を感じさせる拝殿、本殿とは違い、平屋はかなり新しい。それもそのはず。建てられたのは昨年のことだからだ。なんであんなものを建てたのかと当時は不思議に思ったが……。
(今日のために建てられたものだったんだ)
何にせよ、家の敷地内に建っているものとは思えないくらいに本格的な神社である。ちなみに塀の内部はそれなりに整えられている。僕や兄が近づくことは禁止されていたけれど、使用人に一部は塀の中に入ることを許可されていた。
(まぁ九条家の敷地にみっともないものがあったら外聞も悪いだろうし)
ただ、塀の中を掃除している人間でも、平屋を建てた人間でも多分拝殿や本殿には足を踏み入れてはいない。理由は拝殿の扉に貼られているお札だ。
(扉を開けるにはお札を破く必要があるっぽい。でも、あのお札が破かれた形跡はない。つまりあれが貼られてから誰も中には入ってないって証拠だ)
一体いつ貼られた札なのかはわからない。けれど、年代物であることは間違いないだろう。鳥居の外から見ているとはいえ、札の痛み具合は確認出来る。
ちょっと怖い。まるで社を封印しているように貼られている札だ。本来であれば無視するところである。だが、スルーすることはできなかった。
(アレを破れって父さんに命じられちゃってるからな)
生活をするのは例の平屋だが、父からはまず札を破いて拝殿に入れと命じられている。
あんなものを破いたら祟られるような気がするのだけれど……。
(でも、やるしかないよな)
バクッバクッと緊張で心臓が高鳴るのを感じつつ、僕は一礼すると鳥居の中に足を踏み入れた。そのまま拝殿へと近づこうとする――が、一度足を止めると手水舎で左手を清め、右手を清め、口をゆすいだ。その上で改めて拝殿の扉に近づく。
(古い建物の匂いがする)
鼻腔をくすぐる香り。そんなものを嗅ぎつつ、一度大きく息を吸うと、札に手を伸ばした。そのまま札の端を摘まむ。一瞬躊躇いを覚えた。やっぱり怖い。再び恐怖感が膨れ上がってくる。僕はそうした想いを振り払うように首を左右に振ると(すみません)と心の中で謝罪しつつ、ビリッと札を剥ぎ取った。そして扉を開く。
「失礼します」
誰もいないことはわかっている。それでも一応声をかけ、拝殿内へと脚を踏み入れた。
(なにもない)
本当になにもなかった。普通の拝殿であれば神様を祀る祭壇みたいなものがあるはずなのに、ここには本当になにもない。あるのは本殿に続く扉だけだ。
(これってどういう?)
疑念を抱く。
その瞬間、突然拝殿の扉が何もしていないというのに閉じた。
「え?」
僕は思わず振り返る。
だが、その刹那、唐突に本殿へと続く扉が開いた。それと同時に身体が浮き上がる。
「な、なんだ? これ……なんだぁああっ!?」
わけがわからない事態に悲鳴を上げる。
でも、答えなんかない。そのまま僕の身体は本殿へと引き摺りこまれた。
(何が起きて? わけがわからない)
本殿内――真っ暗だった。何も見えない。僕は宙に浮いたまま、暗闇の中へと視線を走らせる。一体何が起きている?
そんな疑問に答えるように、突然本殿内部がパアッと明るくなった。
そして僕は瞳を見開いた。それこそ瞳孔が開いてしまいそうなほどに……。
僕の視界に映るもの――それは巨大な狐だった。九本の尻尾が生えた体長三メートルはある狐の化け物……。
(なに……これ……)
言葉を発することもできない。僕は呆然とその狐を見つめる。
『貴様が贄か?』
その時だった。僕の頭の中に直接声が聞こえてきたのは……。
(今の……まさか……)
狐? この狐が僕に?
『答えよ。貴様が贄か?』
もう一度問いかけられる。
(ああ……そうか……)
そして僕は悟った。自分は生贄として捧げられたのだと。この狐に対する〝贄〟にされたのだ――と。
捨てられた。僕は本当に捨てられたんだ。
(いや、違う。捨てられたんじゃない。きっと僕は生まれた時から……)
こうなることが決まっていたのだろう。だから父と母は……。
(そっか……僕は食べられるために……)
そのための道具だったのだ。心に絶望が広がる。
『答えぬか』
もう一度狐が問いかけてきた。答えない僕に対してちょっと苛立ったような様子で……。
そんな狐に僕は――
「はい。そうです」
はっきりと答えた。
(もう……いいや……)
怖い。食べられて死ぬなんてそんなこと絶対イヤだ。だけど、でも、どうでもいい。だって生きていたって仕方ないんだから。
『そうか……ふ、ふふふふふ』
僕の答えに狐は満足そうに笑う。
「……食べるならさっさとして下さい」
怖い時間が長引くのはイヤだ。やるなら手早く終えて欲しい――という想いを伝える。
『食べる?』
すると狐はきょとん――獣の顔だけどはっきりわかった――とした表情を浮かべた。その上で『はは……ははは! はははははは』楽しげに笑う。
「なんで?」
どうして笑うのだろう?
『お主は勘違いをしておる。お主はワシに食われるためにここに来たのではない』
「だったら――」
なんのために? と、問おうとした刹那、狐の巨体が強烈な輝きを放った。その輝きの中で狐は変化する。化け物から小柄な少女へと……。
「――へ?」
思わず間の抜けた声を上げてしまう。
それくらい、ギャップがある変化だった。
だって、化け物としか思えない姿だったのに、今は僕より年下の女の子にしか見えないのだから……。
狐耳に、狐尻尾を生やした巫女服姿の少女。腰まで届く金色の長い髪を揺らしながら、切れ長の瞳を細めて笑う。その姿は実に可愛らしく、また、思わず見惚れてしまうほどに美しいものだった。
呆然としてしまう。
そんな僕に対して狐少女は胸を張ってみせると――
「お主はワシの嫁としてここへ来たのじゃ!」
そう告げてきた。

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