序
「哀れよ」
美しい少女の、けれど喩えようのない穢れた声がつぶやいた。
しかし何故なのか、不思議とそこにはひと滴の清水のように透明な、それでいて哀切な情感がにじむ。
「――」
その声に応えて、幼い男の子は手を伸ばし、声を……ああしかし、そののどには深々と、引き千切られて鋭く延された金属の破片が突き刺さり、声になるはずの呼吸は喉笛を震わすことなく、ひゅうひゅうと傷口の隙間から漏れ出していた。
「……まだ、妾を試されるおつもりか? 主よ」
渦巻く紅蓮の炎の中で、彼女は凍りついたように蒼白かった。その黒髪のひと筋に至るまで、燃え上がる火焔が焦がすことをすら一切許さぬほどに。
その一方で、男の子の四肢はずたずたに裂け、恐らくは意識もろくに残ってはいないだろう。それでも、唯一動かせるであろう腕を、彼女に向かってよろよろと伸ばしてくる。
「……無理に声は出さなくていいの、あおくん」
それまでの声とは打って変わって、幼く、優しい少女の声が、少年の耳に届く。
――おねえちゃん。
霞む視界のその向こうで、幼い男の子は、彼女が優しく、いつものように微笑ってくれた……そんな風に感じられた。
「ゆっくりと眼を閉じて。あとは全部、まりやお姉ちゃんに任せて……さあ」
その優しさは、不思議と夜闇を、そして仄暗く温かな土の匂いを思わせて――それはまるで神そのものにも、あるいは死臭そのものであるようにも感じられたが。
――おねえちゃん。
幼い男の子は、そっと握られる手の感触に、ただそれを絶対に離したくないと……ただそれだけを強く願って。
かすれかけた意識を、最後には手放してしまったのだった。
†
――サウスヴェルタ航空725便、墜落事故。
ティンシェル国際空港を離陸直後、725便は直前に離陸した航空機の後方乱気流に遭遇し、その際に操縦を誤って機体が損傷、墜落した。
乗客乗員235名が死亡。また、墜落地周辺では大規模な火災が発生し、住宅8棟が全焼、周辺の住民2名が死亡し、10名以上が負傷した。
乗員のうち、無事だったのは少年と少女のたった2名。死亡した乗客の中には、この生き残った少年の両親も含まれていた――。
「だいじょうぶ? 青くん」
「うん……」
少女に手をつながれて、少年は家路を辿る。
「さあ、帰ってきたわ。青くん」
「うん……」
少年は、ただそれしか答えることが出来なかった。
――仕方のないところだ、と少女も思う。
母親も、そして父親も事故でいちどきに喪った。そうすぐに元気になれるものでもないだろう。
「今日からは、わたしが、ほんとうのお姉ちゃんになってあげるから。だから元気になってね……青くん」
「……おねえちゃん」
優しく抱きしめられて、青の瞳からは、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
それが、真理夜と青、二人の生活の始まりであった……。