【2017年1月19日】

メイドやります!第一章豪華公開!

青橋由高先生「メイドやります!」発売記念!

先生からご許諾いただき第一章丸々公開です!

ぜひ雰囲気が気に入った方は応援してくださいませ

○夢のプロローグ 未来をめざします!
いつか自分もこのように年老いたい。そう思わせてくれる人物に出会えたことは、将来が見えずに悩んでいた楓にとって大きな転機となった。
難病を克服し、完治後もリハビリに積極的に取り組み日に日に元気になっていくその女性と、楓は様々なことを話した。
楓の四倍ほども生きてきた彼女との会話は、これまでの自分がどれだけ狭い視野や価値観の中にいたかを教えてくれた。この世界はとても広く、豊かであると知った。
「私も、他の世界で生きられますか? 新しい人生を望んでもいいのですか?」
「ああ、大丈夫だよ。お嬢さんはまだまだ若い。色々なことをやってみて失敗しても、別の道を選ぶ余裕は充分にある。なんでも、好きなことをやってみるがいいさ」
「では……私もあなたと同じ道を選んでもいいのでしょうか?」
恐る恐る尋ねた楓に対して彼女は大きく目を見開いたのち、嬉しそうに何度も頷き、こう言ってくれた。
「ああ、孫娘が一人増えたみたいだね。これで、あちらで私を待っててくださるご主人様にまた一つ、土産話ができそうだよ」
幼なじみの少年と待ち合わせをして、夕暮れの中、二人並んで家まで帰るのが穂乃花は好きだった。
「道場に通い始めて、そろそろ一年だっけ? すぐに音を上げると思ったけど、頑張ってるじゃない、アンタ」
「稽古は大変だけど、ちょっとずつ強くなっていくのがわかるのは楽しいし、みんな、優しくしてくれるからね」
「アンタ、いっつも道場のお姉さんたちに囲まれてるもんね」
隣の少年を見る穂乃花の唇が不満げに尖る。
なにか言ってやろうと思ったそのとき、帰宅時間を告げるメロディーが辺りに流れ始めた。
「あ。これ、今日やったやつ」
少し前から通い出した音楽教室で習ったばかりのメロディーに、穂乃花は自然と歌い始めていた。
日本人の心の琴線を響かせる旋律がオレンジ色の景色に溶けこんでいく。
「すごいよっ。穂乃花の声、すっごく綺麗だったよ!」
歌い終わった途端に、幼なじみが目を輝かせながら盛大な拍手をしてくれた。
「あ……ありがと」
このときの嬉しさを、穂乃花はずっと忘れないと思った。
いつか大勢の人の前で歌う機会があったとしても、きっと自分が欲するのはこの幼なじみの拍手だけなのだろうと。

○Ⅰ メイド襲来~年上お姉さんの甘やかし
1 やって来たお姉さん
高校最後の試合で敗退し、さらに負傷までしたというのに、荻野開の表情は明るかった。
負けたのはもちろん悔しかったしケガをした足首も痛い。
けれど、自分の力は出せたし、子供の頃からずっと応援してくれた幼なじみの前で勝利するところも見せられたのが開の心を軽くしていた。
(それに、ケガのおかげでこんな役得もあったしね)
目だけを動かして、開に肩を貸してくれている少女を見る。
「ほら開、もっと私に身体を預けなさいって。遠慮してケガ悪化したら逆に困るし」
初山穂乃花のよく通る声が耳のすぐ側で聞こえる嬉しさに、開の頬が緩む。が、
「大丈夫よ、アンタちっこいし。もっと寄りかかりなさいよ」
「ち、小さくないよ、ちょっと平均に届いてないだけだよっ」
開の悩みの種である身長のことを言われ、表情が曇る。
「でも一番下の階級じゃない」
「謝れ、男子柔道界、六十キロ以下級全選手に謝れっ」
「なに怒ってんのよ。いいじゃない、可愛くて」
「男が可愛いって言われて喜ぶとでも?」
「道場でお姉様がたに可愛い可愛いって言われてにやけてたじゃないの、アンタ」
「そんな昔の話! ってか別ににやけてなかったよ!」
「どーだか。……いいから、もっと体重かけなさいっての。今さら遠慮するような仲じゃないでしょ、私たち」
「……うん」
いつから好きになったかすら曖昧なくらい長い付き合いの幼なじみの言葉に、開はおとなしく甘えることにした。正直に言うと、試合中に捻った足首はさっきからずっと痛みを増していて歩くのがつらかったのだ。
(遠慮するような仲じゃない、かぁ。これ、喜んでいいのか微妙だよねぇ)
開はもうとっくに穂乃花に対する自分の気持ちが恋だと気づいている。だが、穂乃花の開に対するそれは、男女のものかどうか微妙なところだ。
(出来の悪い弟みたいに思われてる可能性、あり得そうで怖い……)
穂乃花は開と同じ高校三年生の十八歳。小柄な開よりも拳一つ分ほど背が高い。
腰まで達した長く艶のある黒髪とぱっちりと開いた瞳が印象的だ。
どこかオリエンタルな雰囲気を漂わせる美少女である一方、快活でおしゃべりで若干落ち着きのない性格もあって、穂乃花の周囲にはいつも同性異性問わずに人が集まってくる。
そして、そんな穂乃花の側にいる時間が一番長いのは、間違いなく開だった。
(穂乃花、どんどん綺麗になってる。今日だって、他の学校の生徒が穂乃花を見てたし。僕がはらはらしてたのなんて、きっと知らないんだろうなぁ)
穂乃花に誰それが告白した、という噂は、開が知るだけでも何度もある。しかし、穂乃花に直接問い質したことはないし、穂乃花もまた、開に話したことはなかった。
幸い、今のところ穂乃花が誰かの告白を受け入れた形跡はない。
だから、もしかしたら穂乃花も自分のことを、などと都合のいい想像をした時期もある。今も、心のどこかでは希望を捨てていない。
(でも……でもなぁ。本当にただの幼なじみ、弟分みたいにしか思われてない可能性も高そうなんだよねぇ)
冷静に考えてみれば、年頃の少女がこんな気安く異性に身体を密着させてくる時点でおかしい。いくら開が負傷しているとはいえ、こうも無防備だと異性として意識されてないのでは、という疑念が湧いてきてしまう。
「ちょっと、なにため息連発してんのよ。そんなに痛いならタクシー呼ぶ?」
「え。僕、ため息なんてついてた?」
「しまくってたわよ。……ねぇ、悩みでもあるの? それとも、柔道部引退するのが寂しい?」
「引退は、うん、少し寂しい、かな。子供の頃からずっとだったからね」
「そうよね。あのひ弱で泣き虫の開が、まさかここまで頑張るとはびっくりだわ」
「ひ弱だったのは認めるけど、泣き虫じゃなかったよ」
「泣きまくってたわよ、昔のアンタ。ううん、つい最近まで、かな」
「嘘だ」
「こないだだって、一緒に映画観たときに泣いてたじゃない」
「それは意味が違うし! 穂乃花だって映画館出たとき、目が赤かったし!」
「う、うっさいわね、ケガ人のくせに! ほら、とっとと歩きなさいよ!」
「自分に都合が悪くなるとすぐそうやって誤魔化すのは、穂乃花の悪いクセだね。それこそ昔と変わってないよ」
「…………」
言い負かされると黙ってむくれるのも昔から一緒だよね、という追撃の言葉は呑みこむ。なにしろこの幼なじみ、キレるとなにをしでかすかわからないのだ。どんどん痛みが増してくる足首という爆弾を抱えてる以上、肩を借りている身としては不必要なリスクは回避したい。
しばらく無言のまま歩き続けると、開の自宅に到着した。広いが古い二階建ての一軒家だ。隣接する初山家、つまり穂乃花の家が最近リフォームしたばかりなので、余計に古さが際立っている。
(あー、やっと着いた。早く湿布貼って横になりたい……)
横に初恋相手の少女がいるから平気な顔を繕っているが、実はもうかなり足首が痛くなってる開が小さく安堵の息を吐いた直後、穂乃花が立ち止まった。
「穂乃花? どうしたの?」
「おじさまとおばさま、もうあっちに行っちゃったんだっけ?」
穂乃花の視線の先を辿ると、荻野家の空の駐車場があった。
「うん、昨日の夜にね。これでもぎりぎりまでこっちに残っててくれたんだけど」
「そっか。じゃあアンタ、今日から家で一人きりなの?」
「うん」
開の両親は、かつては商社で部署のエース級の業績を上げていたらしい(そのライバル関係が恋愛に発展したのだとよく惚気る)が、一人息子の開が病弱だったため、時間に余裕のある仕事にすぱっと転職し、空気のいいこの町に引っ越してきた。
開が健康になったのを見て勤労意欲が復活したらしく、かつての上司に紹介された新しい会社で来春から再び夫婦揃って働くことになっていた。が、どうしても人手が足りないからと懇願され、予定が半年前倒しされたのだ。
「開、料理なんてほとんどできないでしょ? 私の親も、しばらくうちでご飯食べたらって言ってたわよ?」
「そう言ってもらえるのはすごくありがたいけど、僕も自炊に慣れないとまずいし、遠慮するよ。どうしてもダメってなったら甘えさせてもらうね」
一人暮らしになるのはわかっていたため、心構えはできている。ただ、この先受験が控えていることと、家事に不慣れななのは確かに不安材料だった。
「その足じゃ無理でしょ。……いいわ、今夜は私がなにか料理しに行ってあげる。私、明日は家の用事で出かけちゃうけど、多めに作っておけば次の日も食べられるしね」
「それはありがたいけど……」
「けど、なによ」
「その、どうしてそこまでしてくれるのかなって」
開は深い意味があって言ったわけではない。ただなんとなく口からセリフが出てきただけなのだが、穂乃花は驚いたような顔のあと、妙に落ち着きをなくし、きょろきょろと急に周りを見始めたかと思うと、今度は耳を真っ赤にした。
「い、い、言わせるわけ? アンタ、それを私に、女から言わせるつもり?」
「はい?」
幼なじみの突然の挙動不審に、開はなにか失言でもしてしまったかと自分のセリフを振り返る。が、特に思い当たる点はない。
「い、いいわ。タイミングも悪くないし、言ってあげるわ。感謝なさい」
「う、うん」
耳だけでなく首筋までほんのりピンク色に染めた幼なじみが睨みつけてくる。
「私がアンタの世話を焼くのはね、私がね、ずっと前からね、開のことが好」
「お帰りなさいませご主人様」
「は?……うわっ!?」
誰もいないはずの自宅のドアがいきなり開き、見知らぬ女性が見慣れぬ格好で現れ、さらに人生で初めてかけられたセリフに驚いた開はバランスを崩した。けれど、痛めた足首では踏ん張りきれない。
「開っ!」
穂乃花が慌てて手を伸ばしたが、それより先に開を背後から抱き止めてくれる者があった。荻野家の玄関から現れたあの女性だった。
「大丈夫でございますか、ご主人様?」
「え? え? え?」
最初の「え?」は自分が転倒しなかったことに対して。
次の「え?」は、再び奇妙な単語で呼ばれたことに対して。
そして最後の「え?」は、自分の後頭部を優しく包みこんでくれている謎のクッションに対しての疑問だった。
「あ……あの、あなたは……あ、いえ、ありがとうございます。……うわっ」
尋ねるより先にまず礼を口にした開の手を思いきり引っ張ったのは穂乃花だ。先ほどとは違うベクトルで目つきが険しい。
「誰よ、あなた。なんで開の家から出てきたのよ。しかもそんな格好で」
穂乃花が開を守るように一歩前に出る。
「ああ、これは失礼しました。わたくしは本日よりこの家で、荻野開様のメイドとして勤めさせていただくことになりました、西園楓と申します」
そう言って、深々と下げられた楓の頭には眩しいほどに白いヘッドドレスがあった。
「メイド?」
確かに、目の前に立つ楓は、開の持っているメイドのイメージそのままの格好をしていた。純白のカチューシャ、紺を基調とした裾の長いエプロンドレスは、確かにメイド以外の何者にも見えない。
「はい、わたくし、JMA、日本中央メイド協会から派遣されてまいりました。これが身分証明書でございます」
受け取った書類には、確かに「西園楓」という名前と顔写真、聞いたことのない団体名と代表理事と思しき女性のサインがあった。あったが、逆に胡散臭い。
「なにこれ。新手の詐欺? 確かに開はお人好しで与しやすいけど、私がいる以上、そう簡単にはいかないわよっ」
開の肩越しに書類を覗きこんでいた穂乃花が楓を睨みつける。
「ご安心くださいませ。開様のご両親から託された委任状もございます。それと、初山穂乃花様のこともお聞きしております。今後ともよろしくお願いいたします」
楓はもう一枚の書類を開に渡すと、今度は穂乃花に向けて再度頭を下げた。その拍子にメイド服の胸元が大きく揺れるのを見てしまい、開は一人、耳を熱くする。
「私のことまで知ってるの? まさかホントにおじさまとおばさまが?」
自分の名前を呼ばれた穂乃花が驚きつつ、再び開の手元を覗いてくる。
開が受け取った書類には、確かに見慣れた筆跡の署名があった。
2 共同生活の始まり
肩を貸すという楓を強く拒んだ穂乃花に助けられながら自宅に辿り着いた開がまず最初にしたことは、両親への電話だった。もしかしたらあの署名が偽造かもしれない、という疑念はあっさりと払拭され、楓の言葉がすべて真実であると判明する。
「ええと……西園さん?」
「楓とお呼びくださいませ、ご主人様」
向かい側に座ったメイドがにっこりと笑う。大人びた柔らかい笑みだった。
「じゃ、じゃあ……楓さん……ひっ」
開が小さく悲鳴を漏らしたのは、隣に座った幼なじみが凶悪な表情で睨んでいることに気づいたためだ。
「わたくしがメイドとしてここに来た理由は納得していただけたでしょうか?」
「は、はい。要するに、その、家政婦さんってこと、ですよね?」
「仕事内容が重複してる部分もありますが、メイドと家政婦は別物だと理解してもらえますと幸いです」
楓は穏やかな笑みを崩さぬまま、けれどきっぱりと言った。譲れないなにかがあるのだろう、とすぐにわかった。
「では、具体的にはどんなことをしてもらうんでしょうか」
「ちょっと開、あんた、なに簡単にこの状況を受け入れてんのよっ」
「だって母さんたちが正式に依頼してるってわかったし、家のことをやってもらえるなら確かに助かるよ。なにしろ、足がこれだからさ」
開のために一流企業の出世コースをあっさり捨てた子煩悩な両親だ、たとえ息子が成長したとはいえ、家を空けるのが不安という気持ちは理解できる。
(もしかしたら、メイドさん雇うって決めたから仕事の前倒し決めたのかも)
過保護なところのある両親が受験生の息子を置いて新しい職場に向かったのが少し不思議だったが、最初からこうするつもりだったのならば納得がいく。
「い、家のことなら私に言えばいいでしょ!? 他人に頼まなくても、すぐ隣に私がいるんだから! 今までだって、おじさまたちが留守のときはうちに泊まったり、私がご飯作ったり洗濯してあげたじゃないのよ!」
「な、なんで穂乃花、そんなに怒ってんの?」
「怒ってないわよこのバカ!」
穂乃花が勢いよく立ち上がる。
「めちゃくちゃ怒ってるようにしか見えないんだけど」
「旦那様と奥様は、穂乃花さんにこれ以上負担をかけるのは申し訳ないとおっしゃってました。だからこそわたくしを、メイドを雇ったのですわ」
楓の説明に、穂乃花の目が悔しげに、あるいは寂しげに細められる。
「私、一度も負担だなんて思ったことないのに……っ」
ぼすん、と腰を下ろした穂乃花が拳を握りしめながらつぶやく。
「けれど、不幸中の幸いでございました。ご主人様のお怪我が治るまで、この楓が誠心誠意、看病させていただきます」
「あのぉ、楓さん?」
「はい、ご主人様」
「そのご主人様っての、やめません? 普通に名前でいいですよ、僕のほうが年下ですし。……年下でいいんです、よね?」
「はい、わたくしは二十二です。けれど、開様とわたくしはあくまでも主とメイドでございます、けじめはつけませんと」
「ただの雇い主と従業員ってだけじゃない」
「確かに、穂乃花様の言うとおりです。しかしわたくしは誇りあるメイドとして、それ以上の深い絆を開様と結べれば、と願っています」
「深い絆っ!? 結ぶ!? ちょっとそれ、どういう意味よ!」
「は? 言葉どおりの意味ですが。他になにか?」
きょとん、とした顔で首を傾げる楓に、穂乃花が「あ、いや、その、あの」と突然しどろもどろになる。なぜか頬が少し赤い。
「ところで楓さん、この仕事って長いんですか?」
穂乃花が少し静かになったのを見た開は、目の前のメイドに関する情報を探り始める。危険な人物などとはもう考えてないが、聞きたいことは山ほどあった。
「いえ、今回がメイドとしての初仕事でございます」
「ふん、ってことは初心者ってわけね」
穂乃花が小鼻が膨らませながら言う。
「ご心配には及びません。確かにメイドとしての任につくのは初めてですが、わたくしは協会での厳しい研修と試験をパスしております。これがその内容でございます」
楓が机に置いたのは分厚い冊子だった。「部外秘」と大きく判が押された表紙を捲ると、メイドの心得や知識、歴史から始まり、家事などの具体的な業務に関する様々な項目がびっしりと詰めこまれている。
「ちなみにこの内容は初級コースで、わたくしは上級コースにも合格しております」
「これで初級なんだ……すごい……」
開の中にわずかに残っていた楓への不安がこれで一気に消えた。
(考えてみれば、うちの両親が雇った人だ、変な人のはずがないんだ)
商社勤務時代に培った豊富な人脈を駆使して楓に到達しただろうことは容易に想像できる。そういう点では慎重な両親だということを、開はよく知っていた。
「さらに言いますと、わたくしは限定解除メイドでございます」
楓は先ほど開たちに見せた身分証明書を再度取り出し、その裏側を指で示した。カチューシャを模したマークが七色に輝いている。
「銅が初級、銀が中級、金が上級、そしてアルカンシエル、つまり虹色が限定解除を示しているのです」
「それ、すごいの?」
「今後のわたくしの働きを見て判断していただければ、と存じます」
訝しげな穂乃花の疑問に、楓が余裕の笑みで答える。
「ただ、僭越ながら言わせていただきますが、わたくしの師はメイドマスターです。その方から直接薫陶を得たわたくしが師の名に泥を塗るわけにはまいりません」
「いいわ、おじさまとおばさまが頼んだのなら、とりあえず身元だけはしっかりしてるんでしょうからね。今日のところは見逃してあげるわ!」
メイドマスターというパワーワードに気圧されたのか、はたまた毒気を抜かれたのか、どこか負け犬っぽいセリフを残して穂乃花は自宅へと帰っていった。もっとも、
「開、なにかあったらすぐに私を呼びなさいよ。大声で叫んでもいいから」
聞こえよがしにそう言うのも忘れなかったが。
「それではご主人様、お疲れのところ申し訳ございませんが、わたくしのお部屋をどこにするか決めてくださいませ」
「は? 部屋?」
「……もしかしてお聞きになってないのですか? わたくしが今日から住みこみでご主人様にお仕えすることを」
「初耳、です」
楓の言葉を疑ったわけではないが、念のために母親に確認のメッセージを送ると、即座にレスが返ってきた。曰く、『空いている部屋、好きに使ってもらってちょうだい』と。
「あ。だから僕たちが帰ったとき、楓さんが家の中から出てきたんですね?」
今頃そのことに思い至るという己の(そして穂乃花の)呑気さに呆れる。
「はい、鍵を預かってましたので」
楓がテーブルの上に置いた鍵は、確かに普段開が使っているものと同じだった。
「楓さんの部屋、どうしましょうか。空き部屋はいくつもあるんですが」
元々は農家の大家族が住んでいた物件のため、部屋数は多い。メイドの一人や二人住みこんでもまったく問題はなかった。複数のメイドを雇うような未来が自分にあるとはとても思えないが。
「わたくしはどこでもかまいませんけれど……そうですね、ご主人様のお部屋の近くが空いていれば是非。なにかご用があったときにすぐに向かえますから」
「僕の部屋の隣が空いてますけど、そこでいいですか?」
「はい、もちろん」
「なら、あとで案内しますね」
「お願いいたします」
深々と頭を下げる楓を見ながら、お客様用の布団セットどこにしまったっけ、とか、着替えはあるのかな、などとぼんやり考えていた開は、遅まきながら「その事実」に思い至った。
(んんんっ? これって……これってまずいんじゃないかな?)
現在、開の両親はこの家を離れている。そんな状態で楓が泊まるということはすなわち、一つ屋根の下で若い男女二人っきり、という状況を意味する。
再度、母親にメッセージを送ると、またもすぐに返事が来た。そしてその内容のあまりの破壊力にがくりと肩を落とす。
『お前に夜這いができる度胸があるなら、とっくに穂乃花ちゃんに告白してるでしょ』
そう表示された画面を睨みつけてやるが、事実すぎて反論できないのが切ない。穂乃花への恋心がばれてるのはまだしも、臆病さまで見抜かれてることに落ちこむ。
息子の理性を信頼したのではなく、度胸のなさから大丈夫と判断されたのは、男としては悔しい。無論、よからぬことをするつもりなどないのだが。
「楓さんの荷物はどこに置いてあるんですか?」
「明日の午後にこちらに届くよう手配してあります。今日は最低限のものだけ持って参りました」
「じゃ、早速部屋に案内します」
立ち上がろうとすると、楓はすっと開の隣にやって来て身体を支えてくれた。
「楓さんって、こういうの慣れてません?」
「はい、メイドの前は介護の仕事をしてましたから」
「なるほど。僕はてっきり、メイドになるにはこういうことまで習得するのかと思いましたよ」
「いいえ、メイドの必須科目に含まれてますわ。もちろんこういったスキルを発揮するような状況にならないのが最善ですけれど、ご主人様がお怪我をなさったりするケースも想定されますから」
「実際、こうして早速役立ってますしね。……えっと、そこの一番奥が僕の部屋です。隣が空き部屋なので、ここを使ってください。……だけどいいんですか? ここから離れてる部屋も他にありますよ? 二階にも部屋はありますし」
「どういう意味でございますか?」
開の言葉に、楓が小首を傾げる。それに合わせてヘッドドレスのフリルがふわふわと揺れるのが愛らしい。
「だって、隣に雇い主がいるのって息苦しくないですか? せめて勤務時間外くらいはのんびりしたいでしょうし」
「メイドは年中無休でございますので勤務時間という概念がそもそもございません」
「ええっ!?」
「そして、メイドがメイドであるためには主が必要です。ご主人様の側を離れるほうが落ち着きません」
「そういうことならいいんですが」
「はい、ありがとうございます、ご主人様」
楓は開に向けて、穏やかな笑みを浮かべた。
(うっ。か、可愛い……!)
四つ年上の女性の笑顔に、開は今日からこの魅力的なメイドとの共同生活が始まる事実を改めて意識するのだった。
楓が持ってきた荷物はトランクだけで家具などは明日届くというので、来客用の寝具セットを渡すだけで作業は終わった。もちろん、作業のあいだはずっと楓に介助をしてもらった。
夕食にはまだ早い時間だったので、そのまま開の部屋で少し話をすることになった。
これから一緒に生活をするに当たって、互いのことを知っておくのは大切だと思った……というのは建て前で、純粋に楓への興味があった、というのが開の本音である。
「短大を卒業後、すぐにメイドさんになったわけじゃないんですね」
「はい。元々、特になりたい職業があったわけではないんです。お恥ずかしい話ですが、ずっと流されるままの人生でした。メイドという天職に出会うまでは」
「天職ですか」
短期アルバイトの経験があるだけの開には今一つ実感はないが、概念としては理解できた。開も高校三年生、将来について考えたことがないわけではないのだ。
「わたくしは誰かの役に立ちたいとずっと思ってました。誰かから必要とされたいと思ってました。こんなわたくしでもいいと言ってくれる誰かを探していたのです」
最後のセリフを口にするときの楓の顔がどこか寂しげに感じられたのは、あるいは開の気のせいだったかもしれない。
「それで介護のお仕事を?」
「はい。正直に言いますと、その進路を選んだのもどこか流されるままといいますか、なんとなく、だったのですけれど」
楓は恥ずかしそうに言ったが、きっと優秀だったのだろうな、と開は思う。楓に介助してもらい、楓の技術の高さが実感できたからだ。
そのことを正直に伝えると、二十二歳のルーキーメイドは照れくさそうに、しかしどこか誇らしげにも見える笑みを見せてくれた。
「就職して一年が経った頃、わたくしはついにマスターと出会いました。あれこそが間違いなく、わたくしの人生のターニングポイントでございました……!」
畳の上で正座し、両手を組んで陶然とした面持ちを浮かべているメイドという奇妙な光景に、ベッドに腰かけていた開はどう反応していいかわからない。わかるのは、楓が心の底からその「メイドマスター」なる人物に心酔している、ということだ。
「その、マスターってのはどんな人なんです?」
一番気になっていた点を聞く。
「かつて実際にメイドとして活躍された方です。ご主人様は元華族、と聞いてます」
「華族」
普通に現代で生活していればまず使う機会のなさそうな単語だった。
「今はごく普通の、上品なおばあちゃん、という方ですよ。重い病気を患われて外国で治療されたあと、帰国してリハビリしてるときにわたくしが担当になったのです」
楓はスマートフォンを取り出し、そのマスターと思しき女性との写真を見せてくれた。楓によるととっくに古希を迎えているそうだが、六十代前半でも通用しそうなほどに若々しい。
「リハビリを終えた今はもっとお元気で、若々しいですよ。病気になる前より速いタイムでハーフマラソン完走したという連絡もいただきましたし」
続けて見せてもらった写真では楓と並んで立っていた。背筋もぴんと伸びていて、さらに若い印象だった。優しそうな笑顔は、どことなく目の前にいる楓を連想させる。弟子は師匠に似るのだろうか。
「ちなみにこの端末はメイド協会から支給されているものです」
「は?……あ、ホントだ。なんかマーク入ってる」
手渡されたスマホは某国内メーカー製のハイスペックモデルだったが、背面にはカチューシャのマークが刻印されていた。楓が見せてくれた身分証明書に印刷されていたのと同じマークだった。
「この協会の理事の一人が、実はマスターのお孫さんなのです。……ホーム画面の右上にあるカチューシャのアイコンをクリックしてみてください」
言われたとおりに操作すると、アプリが起動した。
「それが協会オリジナルのメイドアプリでございます。元は冊子なのですけれど、可搬性及び利便性を考慮して作られたそうです」
「かなり本格的ですね、これ」
メイドの心得や歴史、用語辞書といった読み物以外にも、様々なメニューがずらりと並んでいた。
「困ったときは対話形式で解決方法を教えてくれたりもするんです。音声入力にも対応していますし、業務に応じてカスタマイズされた特注タイプもあります」
メイドと一口に言っても、様々な分野のスペシャリストが存在するらしい。
「たとえば、ご主人様の身の安全を最優先でお守りするメイドなどはこの業界では花形の一つでございます」
果たしてそれはメイドである必要性があるのだろうか、と思ったが、開は口に出さないでおく。
「そんなメイドのために、国内で武器を入手するときに役立つ販売ルートの情報なども登録されているそうです」
「…………」
深く追及したら負けのような気がしたので、開はここも無言を貫く。
「まあ、わたくしはごくスタンダードなメイドでございますので、特別なメニューはそのアプリにはありませんけれど」
「いえいえ、それでも充分すごいですよ。これがあれば僕もメイドになれそうな気になってきます」
「ふふふ、ご主人様がメイドになってしまわれたら、わたくし、初日にしていきなり失職してしまいますわ」
「あははは、確かにそうですね。それに、僕もメイドになるより、ご主人様のほうがいいです」
「はい、しっかりお仕えさせていただきますので、今後とも是非よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくです」
期せずしていい感じの挨拶となり、開と楓のあいだにあったある種の遠慮が少し和らいだ。
(いきなりメイドさんが現れて最初はどうなるかと思ったけど、楓さん、優しそうだし、いい人みたいだからこれからうまくやっていけそうだ)
「では、わたくしは一度仕事に戻りますね。そろそろお夕飯の支度に取りかかりますので。なにかご希望のものはございますか?」
「ううん、僕、好き嫌いもアレルギーもないから大丈夫です。あ、母さんが色々食材用意しておいてくれたみたいだから、好きに使っちゃってください」
「承知しました。では、台所におりますので、なにかご用がありましたら遠慮なくお呼びくださいませ」
遠ざかっていく足音を聞きながら、開はベッドに横たわる。痛み止めが効いてきたのか、高校最後の試合を終えて気が抜けたのか、急激に眠気に襲われたのだ。
(楓さんの作る晩ご飯、楽しみだな……)
メイドの残り香の中、少年は静かに目を閉じ、そしてすぐに眠りに落ちる。
部屋に漂う香りは、どこかミルクのような甘さを感じさせた。

3 熱の夜
「ん……今、何時だろう……」
目を覚ました開は手探りでスマホの電源を入れる。夕食にはちょうどいい時間になっていた。部屋の窓から見える空も、すっかり暗くなっていた。
(ちょっと熱っぽいかな。気が抜けたせいかも)
ベッドから起き上がると、若干、身体が重く感じられた。額を触ると少し熱い。
(でも、こっちは楽になってる)
寝る前と比べて痛みが和らいだ足首を庇いながら台所に出ると、唾液や胃酸の分泌を促すような匂いの中、料理中のメイドの後ろ姿があった。
「あ、お目覚めでしたか。すみません、気づきませんで。呼んでくださればお迎えにまいりましたのに」
開に気づいた楓が素早く寄ってきて肩を貸してくれた。誰かを支えることに慣れている、と感じさせる自然な動作だった。こつがあるのか、穂乃花に肩を借りたときよりも足の痛みが少ない。
「あ、ありがとうございます」
穂乃花とは違う感触と匂いとにどきどきしつつ、居間へと連れていってもらう。
「もう食べられますか?」
「はい、お腹空いちゃいましたから。……いい匂いですね。うどん、ですか?」
「先ほど、ご主人様を支えてるときに少し体温が高めに感じましたので、消化のいいものを用意してみました」
本人すら先ほどまで気づいてなかった体調の異変を察知していたという事実に、開は驚き、そして楓を見直す。
「すごいですね。僕だってついさっき、ちょっと熱っぽいかなって感じたばかりなのに」
「ご主人様の変化に気を配るのはメイドの基本でございますから」
楓は嬉しそうに、そして少し誇らしげに微笑みつつ、台所から運んできた鍋の蓋を取る。煮こみうどんだった。白い湯気とともにいい匂いが部屋に漂う。
「先ほど奥様から、開様はこれがお好きだと教えていただきましたので。とろとろに煮こんだ長ネギが特にお好きだとも」
「うん、そうなんです。……うわあ、美味しそう!……って、あれ、一人分だけ? 西園さんの分は?」
「楓、でございます」
二十二歳のメイドが優美な、けれど有無を言わせぬ迫力も兼ね備えた笑顔で開に言い直しを迫る。
「あー……楓さんは一緒に食べないんですか?」
会ったばかりの年上の女性を下の名前で呼ぶ気恥ずかしさに目を泳がせつつ尋ねる。
「わたくしはメイドでございますので、あとでいただきます」
「じゃあ、僕も食べない」
「は?」
「僕、ご飯は家族みんなで食べるものだって親から言われて育ったんです。だから、楓さんも一緒じゃないと食べません」
「……っ」
楓が大きく息を吸ったのがわかった。
「か、楓さん? どうしたんですか、そんなびっくりしたような顔して」
「驚いてたのです。今のご主人様と同じセリフをマスターにも言われたので」
「……ああ、メイドマスターさん、ですか」
実際に口にすると、このメイドマスターという単語の持つ力というか違和感が凄まじい。普通の人生を歩んでいればまず縁のない単語であろう。
「その、僕のはそんな深い意味があるわけじゃなくて、ご飯はやっぱりみんなで食べたほうが美味しいかなって、そんな程度ですけど」
「では、わたくしもご主人様と一緒に食べさせていただきます」
台所に戻るために楓が再び立ち上がったそのとき、開は見た。楓がこれまで見せたどれとも異なる笑みが浮かんでいたのを。
(楓さん、あんな表情もするんだ)
その笑顔は大人の女性というよりも、同い年の穂乃花に似ているように思えた。
(よかった、ご主人様、ぐっすりお休みになってる)
今日から主となった少年が寝息を立てたのを確認すると、二十二歳の新人メイドはそっと部屋を出た。静かに襖を閉め、足音を忍ばせて台所へと向かう。
夕食後、さらに熱を出してしまった開のために濡れタオルの用意を始める。
「僕、疲れたりするとこんなふうに熱を出すんです。でも、昔からなんで慣れてますし、たいてい一晩で下がるから心配しないでください」
開本人からそう言われていたが、やはり落ち着かない。
(ご主人様のお世話ができないメイドに存在意義なんてありません)
ずっとふわふわしていた楓の人生の前に現れた、メイドという道標。これこそが天職だと確信している楓にとって、着任早々のトラブルはメイドの神様が自分に与えた試練にも思えた。
(わたくしに新たな人生を与えてくださったマスターのために。そしていきなり押しかけてきたわたくしを笑顔で受け入れてくださったご主人様に報いるためにも頑張らなくては)
眠る開を起こさぬようにそっとタオルを額に乗せてから、楓は隣の自室へと戻る。
純和風の部屋は広く、どこか懐かしい雰囲気があった。
(今日からここがわたくしの新しい部屋、家になるんですね)
荷物が届くのは明日なので家具も荷物もなく殺風景な部屋だったのに、なぜか不思議と落ち着く。
(さて、次にタオルを交換するまでのあいだ、なにをしましょうか)
畳の上にちょこんと正座をしたメイドはこれからの予定を考える。
(そうだ。今のうちに処理、しておきましょう。あれ、持ってきていたはずですし)
幸い、「処理」に必要な器具は今日持ってきたトランクの中に詰めてあった。ここに入っているのは必要最低限のものだけだが、この器具が含まれているのはつまり、それだけ楓にとって重要だからだ。
(ここで……いいかしら。お風呂場だとご主人様に呼ばれたときに聞こえないし)
浴室に向かおうと腰を上げた楓はそう考え、再び畳の上に座り直す。エプロンドレスの上着をはだけると、豊かなバストを支えるブラジャーが露わとなった。
(ああ、すごく張ってます。どうりで痛いと思いました)
メイドたる者、下着にも気を遣いなさい、という師匠の教えを守り、華美ではないが上品なデザインのブラジャーに包まれた乳房は、カップの中に苦しそうに押しこまれていた。
身体にフィットしていない下着は業務の効率も阻害するため、決して身体に合わないサイズのものを使っているわけではない。これは、楓のバストが膨らんだための現象だった。
「ふう……っ」
フロントホックを外すと、双つの巨乳が勢いよく震えながら飛び出した。拘束から解き放たれた心地よさに、思わず大きな息が口から漏れる。
(この体質、どうにかならないものでしょうか)
楓は、母乳が出てしまうという体質に長く悩まされてきた。
トランクから取り出した搾乳機をバストにあてがうと、早速ポンプを動かす。
「ン……」
妊娠はおろか、まだキスすら経験のない処女メイドの淡いピンク色の乳首からじわじわと白い液体が染み出し、ボトルの中に溜まっていく。
「はあ……ぁ」
限界まで溜まっていたミルクを搾ることで、胸の痛みが引いていく。
(すごい……。片側だけでこんなに出るなんて久しぶりかもしれません)
搾れば搾るほど息が楽になっていく解放感に任せ、ポンプを動かし続ける。
(反対側も搾らないと)
だいぶ張りが治まったところで逆側の乳房も搾ろうとしたそのとき、開のいる隣の部屋からなにかが倒れるような大きな音が響いた。
「ご、ご主人様!?」
メイドの本能で反射的に立ち上がった楓だったが、さすがに胸を丸出しのままではまずいと大急ぎでフロントホックを嵌め直し、エプロンドレスを整えてから隣室へと向かった。

4 甘い授乳
足首を負傷していたことを開に思い出させたのは、立ち上がった直後に襲ってきた激痛だった。高熱と寝起きでぼんやりしていた意識が一瞬にして覚醒するが、崩したバランスを立て直すまでには至らない。
「わわっ!?」
常夜灯が照らす薄暗い部屋の中、開は派手に転倒していた。咄嗟に受け身でダメージを減らしたのはさすが柔道部員であるが、運悪く頭部を壁に打ちつけてしまう。
「あぅ!!」
頭と足首を同時に襲う痛みに蹲っていると、襖が勢いよく開いた。
「ご主人様、失礼いたします!」
「楓、さん?」
「ああ、ご主人様、いかがされたのですか!?」
「その、ちょっと転んじゃいまして。あはは」
楓が点けた照明の眩しさに目を細めつつ、開はばつの悪さに照れ笑いを浮かべる。この間抜けな状況を楓に、年上の美人に見られてしまったのがとにかく恥ずかしい。
「今、大きな音がしました。どこか打ったのではありませんか? 見せてください」
しかし楓は真剣そのものの表情で開を見つめ、心配してくれる。
「……ここをちょっと打ちましたけど、本当に大丈夫ですから」
安心してもらうためにぶつけた場所を見せると、楓はようやくほっとした顔になったが、またすぐに気遣わしげな目を向けてきた。
「足のお怪我のほうは大丈夫なのですか? それに、お熱のほうもまだ下がってないようですが」
楓の手が開の額に当てられる。ひんやりとした感触が心地よいのは、まだ熱がある証拠だろう。
「足は痛みますね、やっぱり。熱も……あー、なんかこれ、上がってるかも、です」
以前はしょっちゅう高熱を出して寝こんでいたため、開は自分の身体が今、どのような状態にあるかだいたい見当がつく。
(まずいなぁ、このパターンは夜中にぐんぐん熱上がるやつだ)
楓に介助されながら再び布団に潜りこむと、すぐに熱を測る。案の定、寝る前よりも熱が上がっていた。
「病院に行かれますか?」
「大丈夫です、これくらいなら今夜と明日、おとなしく横になってれば治ります」
開のこの言葉は強がりでもなんでもなく、過去の経験から導き出された予測だった。
「ですが」
「自慢になりませんけど、慣れてますから。栄養と睡眠、水分をしっかりとっておけば一日二日ですぐに治っちゃうんです。信用できないようでしたら、母か穂乃花にでも聞いてください」
言ってから、すぐに訂正する。
「でも、穂乃花には黙っててください。あいつ、また押しかけてきちゃいますから」
「承知しました。穂乃花さんの分もわたくしが全身全霊で看護いたします。こういったときのためのメイドでございます。なんでもお申し付けくださいませ、ご主人様」
「あはは、じゃあ、僕もしっかり頼っちゃいますね。……早速ですが、一つ、頼んでもいいですか?」
楓が必要以上に気負っているように思えたので、開はリラックスしてもらおうと、軽い口調で最初のお願いをしてみた。
「はい、なんなりと」
「なにか飲ませてください。喉がからからで。さっきもそれで目が覚めて、台所に行こうとして転んだんです」
「え? でもお水と、スポーツドリンクを薄めたものを置いておきましたけれど?」
楓の視線の先を辿ると、確かに枕元にペットボトルが二本あった。
「……すみません、すっかり忘れてました。なにやってるんですかね僕は。あは、あはははは」
自分のあまりの抜けっぷりに、開は再び照れ笑いでお茶を濁すだけだった。
(ご主人様の熱、全然下がりませんね)
数時間前に、楓に照れたような笑みを見せてくれていた少年は今、布団の中で苦しげな表情を浮かべていた。濡れタオルを交換し終えた楓は、開の傍らで眉を曇らせる。
(よくあること、とは奥様もおっしゃっていましたが、心配です)
約束どおり穂乃花には知らせずに開の母親にだけ連絡をすると、本人と同じことを言っていた。このままおとなしくしていれば明日か明後日には回復するだろうと言われても、やはり楓にしてみると心配だ。
(だって、こんなにお苦しそうなのに)
年齢以上に幼く見える開が顔を真っ赤にして浅い呼吸を繰り返している姿は、どうにも胸が痛くなる。無意識にだろう、開の手がエプロンドレスの裾をぎゅっと握りしめている姿に、母性本能が刺激されるのがわかった。
(あ。そう言えば、搾乳が途中でした)
物理的な胸の痛みに、そのことを思い出す。開の看病に気を取られていてすっかり忘れていたが、搾乳していない左側の乳房はもう今にも破裂しそうなくらいに張っていた。
(どうしましょう。今のうちに処理しておいたほうがいいのは確かだけれど……)
開が寝ているうちに隣室でさっさと乳房の張りを解消するのが一番だが、そのためにはメイド服を握っている指を引き剥がす必要がある。
「…………」
楓は悩んだ末、この場で、すなわち開の部屋での搾乳を決意する。
開が寝ていたこともあったが、ぱんぱんに張りつめた胸の痛みが無視できないレベルまで達したのが最大の理由だ。
(ご主人様を起こさないようにしなければ)
常夜灯のみの薄暗い明かりの中、楓は空になったペットボトルを手にする。衣擦れの音を立てぬよう慎重にエプロンドレスをはだけて胸を露わにし、ペットボトルの飲み口に桃色の乳首を入れる。
(こんなところを見られたら……)
羞恥と緊張の中、楓は左手でペットボトルを持ち、右手で己の乳房を搾り始める。最初こそ母乳の出は悪かったが、よほど溜まっていたのか、すぐにペットボトルは白い液体で満たされていった。
「はああぁ……」
我慢に我慢を重ねた果ての解放感に、思わず声が出てしまった。その声は決して大きなものではなかったものの、眠りが浅かったのだろう、開が身じろぎする気配があった。
(いけないっ、ご主人様に見られてしまう)
慌てて乳房からペットボトルを離したが、その動作が逆に開の注意を引きつける結果となった。
「楓さん……どうかしましたか……?」
「ななななんでもございませんっ」
咄嗟にメイド服の前を合わせて剥き出しのバストを隠すことには成功したが、手に持った母乳入りのペットボトルはしっかりと見られてしまう。
「あ、それ、もらっていいですか? 喉、からからで……」
「えっ。こっこれはそのっ」
別の飲み物を渡そうとしたが、どれも空だった。
「今、なにかお持ちします」
「僕、それがいいです。なにか美味しそうな匂いだし」
自分の出したミルクの匂いを美味しそうと言われ狼狽した楓の手から、開がペットボトルを奪い取る。まだ意識は朦朧としているはずなのに、素早い動きだった。柔道の組み手争いで鍛えられたのだろうか、などと妙なことに感心する。
(って、そんな場合じゃありません!)
「いけませんご主人様、それはわたくしの……ああぁ!」
慌てて制止するが、わずかに遅かった。高熱でよほど喉が渇いていたのだろう、開はペットボトルを一気に飲み干してしまう。
(あ……ああ、ご主人様がわたくしの……わたくしのミルクを……!)
驚きと恥ずかしさに、楓の顔が真っ赤に火照った。
「ぷはっ。これ、なんですか? 甘い匂いなんだけど、味はそんなにしなくて、でもどこか懐かしいような、不思議な感じです」
「はうぅっ」
自分の母乳の感想を聞かされた二十二歳の処女メイドが居たたまれなさに呻く。
「もっと飲みたいです。おかわり、ないんですか?」
「あ、ありません、今のでおしまいです」
「えー? だけど、まだ匂いがしますよぉ?」
開はくんくんと鼻を鳴らすと、微妙に焦点がずれた目で楓の胸元をじっと見つめる。
「もしかして、隠してます? ずるいですよ、僕にももっと飲ませてください」
「隠してませんっ、隠してませんからっ! ああ!?」
熱で思考が錯乱してるらしい開が、楓の胸に顔を埋めてきた。いくら油断していたとはいえ、限定解除メイドとして高度な護身術を身につけた楓が抵抗らしい抵抗もできずに押し倒される。可愛い顔とは裏腹に、ねちっこい寝技を得意としていた開にふさわしい動きだった。
「あれ? ない? 匂いはするのに、ペットボトルがない? あれぇ?」
開は楓の胸に顔を埋めながらすんすんと匂いを嗅ぐが、無論、ペットボトルが見つかるはずもない。
「なんで? 僕、もっと飲みたかったのにぃ」
熱の影響で子供のように駄々をこねる少年の姿に、楓は一つの決意を固める。乾いた唇を舌で舐めて潤してから、開の耳元でこう囁いた。
「ご主人様、そんなに……飲みたいですか、わたくしの……メイドの特製ミルクを」
楓の囁きに、開は小さく、だが確かに頷いた。
開がセリフの意味を理解できたとは楓も思ってない。高熱によってまともな思考ができない状態なのは明らかだ。けれど、だからこそ楓はこんな突拍子もない提案ができたのだ。
(もしかしたら開様こそが、マスターのおっしゃっていた方なのかも。それを確かめる必要がわたくしにはあるのです!)
開が意識朦朧としていることに加え、部屋の薄暗さも楓の背中を押す。
楓はいったん身体を起こし、開の頭を自分の太腿に乗せた。またミルクを飲めると知った開はもう抵抗せず、素直に楓に身を任せてくる。
(ああ、恥ずかしい……でも……でもっ)
膝枕の体勢になってから数回深呼吸をしたのち、楓はメイド服をはだけ、それからブラのフロントホックも外した。搾乳が途中だった右の柔房は痛いほどに張っている。
「ご主人様、こんなわたくしを軽蔑しないでくださいね……」
祈りのような言葉をつぶやくと、まだよく事情を理解してないと思しき少年の口元に乳首を近づけていく。先ほど飲んだものと同じ匂いを察知したのか、開はすぐにその薄桃色の突起を咥えた。
「んんっ」
自分で触れるのとは明らかに違いすぎる感覚に、楓の女体がびくりと震える。
(ご、ご主人様がわたくしの乳首を……アアッ)
よほど先ほど口にしたペットボトルのミルクが気に入ったのか、開は乳首を咥えるや否や、音を立てて吸い始めた。
「はあうぅっ!」
人間によって吸われるのは、搾乳機を使うときとも、自分の手で搾るのともまるで違っていた。違いすぎた。
(あっ、あっ、ああっ、吸われてます、わたくしのミルク、ご主人様に吸われ……ああぁ、ちゅうちゅう飲まれてぇ……んんんんっ!)
溜まっていた母乳による張りが薄れる解放感に加え、未知の愉悦がそこには確かにあった。小指を噛んで声を押し殺さなければ、はしたない喘ぎをこぼすほどの甘い快感に二十二歳の処女は小刻みに震える。
「……っ……ふっ……ん……っ」
一心にメイドミルクを飲む開の瞳には、理性の光は窺えない。まだ熱に浮かされたままのようだった。
(ご主人様、お可愛い……)
胸の張りの痛みが和らいだことで少し落ち着きを取り戻した楓は、ここで初めて開の身体に生じた異変に気づいた。
(ご主人様のあそこ、膨らんでる……っ)
開の股間が大きく盛り上がっていたのだ。
(も、もしかしてわたくしのおっぱいに興奮して? ううん、でもまだご主人様、意識が朦朧とされてるのに)
高熱によって理性に抑えられていた牡の本能が楓のバストや母乳に反応しているようだった。
(ご主人様の、すごく……すごく逞しい、です……)
師匠であるメイドマスターから夜のご奉仕に関する知識やテクニックも仕込まれている楓は、開のテントから目を離せなくなる。
(こ、これ、わたくしのせい、ですわ。熱に苦しむご主人様に、メイドがさらに追い打ちをかけるなんて絶対に、絶対にしてはならないことです!)
無意識に何度も口内に湧いた唾を飲みこみながら、楓はそっと開の股間へと手を伸ばした。
(なんだろう、これ……すごく……すごく幸せな気持ち……)
模糊とした意識の中、かろうじて開が知覚できるのは触覚と嗅覚、そして味覚だけだった。視界はぼんやりとかすみ、聞こえてくるのは耳鳴りのみ、という状況である。
柔らかななにかに優しく後頭部を支えられながら、どこか懐かしい甘い香りが鼻に、温かな液体が口の中に広がっていくのを感じる。
咥えさせられた柔らかいゴムのようなものに夢中になって吸いつき、甘い汁をごくごくと喉を鳴らして飲んでいると、高熱によるつらさが薄れていく。
(でも、なんだか股の辺りが痛くなってきた……じんじん熱くて、苦しい……)
下腹部に生じた強張りをどうにかしたいのだが、身体の自由が利かない。
「ご主人様、今、わたくしが楽にして差し上げますね」
(今の声、誰?……あっ)
耳鳴りの向こうからかすかに声が聞こえたかと思った直後、不意に下半身がすっと軽くなった。同時に、開の頭を支えてくれている極上のクッションが震えたのが伝わってくる。
「ご、ご立派、ですわ……では、失礼いたします」
(ううぅ!?)
突如として、凄まじい快感が全身を駆け抜けた。腰から下が消失したかと思うほどの愉悦に、咥えていたなにかをより強く吸いこむ。
「はうン! あっ、ああ……いけません……そんなにされたらわたくしまでっ」
(なに、なんなのこれぇ……あっ、あっ、気持ち、イイ……むずむずして、ぞくぞくして……あっ、ああ、あうぅ!)
開を苦しめていた熱と強張りが絡み合いながら、螺旋を描くようにして急上昇していく。
相変わらず目はよく見えないし耳鳴りも大きいが、だからこそ余計に他の感覚が研ぎ澄まされているのがわかる。
鼻腔をくすぐる甘い香りはより濃密になり、咥えた突起はその硬度と体積を増していく。しゃぶればしゃぶった分だけ出てくる蜜はどこまでも美味で、開は朦朧とした意識の中、ただひたすらに吸い続けた。
「ダメ、ダメですご主人様ぁ……ああぁ、あっ……はうん!」
うっすらと聞こえてくる女の声に、下腹部の強張りがさらに熱を帯びる。だが、その苦しみをなだめてくれるような心地よい刺激に、開の腰が勝手に浮き上がる。
「先っぽが膨らんできましたわ、出るんですね、今度はご主人様がミルクをお出しになるんですのね……!」
(出る? なにが? ミルクって、なに?)
ほんのわずかだけ甦った理性が、爆発の寸前でブレーキをかける。が、
「思いきり吐き出してくださいませ、熱さも痛みも苦しさも、全部このわたくしが、楓が搾り取って差し上げます」
限界寸前まで膨張した開の下腹部に、これまで以上の優しく甘美なタッチが加えられた。
「頑張ってくださいませ、ご主人様。身体中の毒をすべて吐き出してくださいませ……!」
「う……うう……ッ」
慈しむような声を遠くに聞きながら、開は腰を突き上げていた。
なにかが股間で爆発したかと思った刹那、鮮烈な快楽に開の意識は一瞬にして刈り取られた。
あれほど苦しんでいたのが嘘のように、開は安らかな寝息を立てるのだった。

 

最新記事

月別アーカイブ

  • 2017年6月 (5)
  • 2017年5月 (2)
  • 2017年4月 (4)
  • 2017年3月 (4)
  • 2017年2月 (2)
  • 2017年1月 (2)
  • 2016年12月 (3)
  • 2016年11月 (5)
  • 2016年10月 (3)
  • 2016年9月 (2)
  • 2016年8月 (8)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (2)
  • 2016年4月 (3)
  • 2016年3月 (2)
  • 2016年2月 (1)
  • 2016年1月 (1)
  • 2015年12月 (4)
  • 2015年11月 (3)
  • 2015年10月 (5)
  • 2015年9月 (3)
  • 2015年8月 (5)
  • 2015年7月 (4)
  • 2015年6月 (6)
  • 2015年5月 (2)
  • 2015年4月 (1)
  • 2015年3月 (2)
  • 2015年2月 (1)
  • 2015年1月 (1)
  • 2014年12月 (3)
  • 2014年11月 (1)
  • 2014年10月 (1)
  • 2014年9月 (3)
  • 2014年8月 (4)
  • 2014年7月 (1)
  • 2014年6月 (2)
  • 2014年5月 (4)
  • 2014年4月 (3)
  • 2014年3月 (3)
  • 2014年2月 (2)
  • 2014年1月 (2)
  • 2013年12月 (3)
  • 2013年11月 (4)
  • 2013年10月 (3)
  • 2013年9月 (1)
  • 2013年8月 (4)
  • 2013年7月 (2)
  • 2013年6月 (4)
  • 2013年5月 (6)
  • 2013年4月 (15)
  • 2013年3月 (21)
  • 2013年2月 (16)
  • 2013年1月 (16)
  • 2012年12月 (18)
  • 2012年11月 (24)
  • 2012年10月 (15)
  • 2012年9月 (16)
  • 2012年8月 (13)
  • 2012年7月 (17)
  • 2012年6月 (20)
  • 2012年5月 (20)
  • 2012年4月 (21)
  • 2012年3月 (34)
  • 2012年2月 (34)
  • 2012年1月 (30)
  • 2011年12月 (25)
  • 2011年11月 (19)
  • 2011年10月 (20)
  • 2011年9月 (15)
  • 2011年8月 (19)
  • 2011年7月 (19)
  • 2011年6月 (35)
  • 2011年5月 (29)
  • 2011年4月 (39)
  • 2011年3月 (21)
  • 2011年2月 (26)
  • 2011年1月 (22)
  • 2010年12月 (28)
  • 2010年11月 (21)
  • 2010年10月 (25)
  • 2010年9月 (19)
  • 2010年8月 (17)
  • 2010年7月 (28)
  • 2010年6月 (22)
  • 2010年5月 (26)
  • 2010年4月 (29)
  • 2010年3月 (31)
  • 2010年2月 (20)
  • 2010年1月 (11)
  • 2009年12月 (18)
  • 2009年11月 (20)
  • 2009年10月 (19)
  • 2009年9月 (28)
  • 2009年8月 (17)
  • 2009年7月 (19)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (13)
  • 2009年4月 (8)
  • 2009年3月 (10)
  • 2009年2月 (9)
  • 2009年1月 (10)
  • 2008年12月 (17)
  • 2008年11月 (11)
  • 2008年10月 (9)
  • 2008年9月 (13)
  • 2008年8月 (13)
  • 2008年7月 (13)
  • 2008年6月 (11)
  • 2008年5月 (12)
  • 2008年4月 (14)
  • 2008年3月 (13)
  • 2008年2月 (19)
  • 2008年1月 (14)
  • 2007年12月 (18)
  • 2007年11月 (22)
  • 2007年10月 (24)
  • 2007年9月 (17)
  • 2007年8月 (26)
  • 検索